団員の声
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※文章中に出ている役職名・パート名はその文章の公開時のもので、現在と異なる場合がありますのであらかじめご了承願います。


No_51(2009/01/02公開)
「無題」
おきささき のぞみ(Flute)

Tubaの「こんどうたいき」さんからご紹介いただきました、「おきささきのぞみ」です。この苗字で損をしたり得をしたりします。
こんどうさんは低音でせせらぎの音楽を支え、さらに作曲も指揮者代理もこなしてしまうようなスーパーな方です☆
ご自身の言うような暗さは微塵も感じさせず、いつも優しく接してもらっています。
ところで私、毒舌でしょうか?笑
 
さて、私がせせらぎに出会ったきっかけは他でもないこのHPです。
京都での大学生活(実家は京都府北部)がスタートし、念願のフルートを手に入れて、なんとか吹ける環境を探していました。
とはいってもフルートは人気楽器でどの団体も飽和状態。団費が高めなのも悩みどころでした…。
 
そんな中見つけたせせらぎも実は同様にフルートの募集は制限していましたが、団費1500円に惹かれ(笑)ダメもとで飛び込んで行きました。するとなんとフルートの空きが出るかもしれない!さらに近々演奏会がある!!とのことで、今ではおなじみの「せせらぎコンサート」に初めて足を運んだのです。
 
聴き終えた後・・・この楽団に入ろうと迷いも無く決めていました。
週1度の練習で、コンクールにも出ていないにも関わらず高いレベル。迫力のある演奏やステージでの演出の工夫、何よりもすごく楽しそうで「私も吹きたい!」と思わせてくれました。
 
そして即入団。その日のうちに歓迎会をしてもらい、一緒に吹けることを楽しみにしていた私ですが、楽器の技術はというと…(^^;)
私は中学でフルートを吹いていましたが、高校では実はクラリネットだったんです。
経験があるとは言え、音が出る程度。フルートの知識もろくになく、入団当初は本当に初心者のような状態でみなさんに色々ご迷惑おかけしたと思います。今もですが(>_<)
そんな私を、フルートの先輩方をはじめせせらぎの方々は温かく受け入れて下さいました。本当に感謝しています。。
 
せせらぎは本当にいい人たちばかりです。
そして愉快な人たちです♪
合宿やイベントに参加すると、より素敵な一面が発見できるのではないでしょうか★
せせらぎは経験に関わらず誰でも溶け込める、温かい環境です。
ぜひ練習場に一度いらしてみてください!
 
そんなせせらぎですが、私にとって素敵な偶然がありました。
高校のときお世話になった吹奏楽部の先輩が、せせらぎに所属していらっしゃったんです!せせコンで出会うまでまったく知らず、感動と同時に世間って狭いなぁ〜と思いました。
というわけで、次は私の大好きな先輩、Hrの「ひろたにまみこ」さんにバトンを渡したいと思います。柔らかいホルンの音色と相まって、そばにいれば誰でも癒されてしまうようなオーラを持つ人です♪
 
それではひーさんよろしくお願いします(^^)/


No_52(2009/02/01公開)
「無題」
ひろたに まみこ(Horn)

フルート「おきささきのぞみ」さんからバトンを受け取りましたホルン「ひろたにまみこ」と申します。
せせらぎに入団していつの間にか3年が過ぎました。人見知りで話し下手な私は、いまだにお話したことのない団員の方もちらほら・・・。こんな私にとって、高校時代と変わらず「ひーさん」と呼んでくれるのぞみちゃんの存在は、本当に心強いです。

小学生の頃は、兄にくっついて少年野球に通い、そのまま入団・・・中学ではソフトボール部に所属・・・という意外にもスポーツ少女だった私がホルンを始めたのは、高校で吹奏楽部に入部してからになります。しかし、未経験にもかかわらず、ホルンの先輩が半年で引退されたため、ほとんどホルンに関しての指導を受けないまま吹いていました。どんな練習をしたら良いのか分からないので、毎日ロングトーンばかりしていたように思います。
高校の部活引退後、ちょうど1年のブランクをあけてせせらぎに入団したときは、自分の演奏のつたなさに気づかされました(今でもまだまだですが・・・)。しかも、せせらぎで演奏する曲は、高校時代に何とか吹いていた曲よりも数倍難しく、ほとんど鳴らせないような高い音が当然のように出てきます。五線の中に音符が全ておさまっていてくれたら・・・といつも願っていますが叶いません。
入団当時は、できる限り周りの音に隠れて吹きたいとばかり思っていましたが、ホルンパートの出席率の関係で、隠れようにも隠れられないということがしばしば・・・。社会人の方は、やはりお忙しいですね。暇な学生の私は、一人のことも多く、毎回ソロを吹くような緊張感で合奏に臨んできました。おかげさまで、かなり精神的にも鍛えられました。

今お話したように、せせらぎのホルンパートは少し寂しい状態で、HP上でも急募がかけられています。そんなホルンパートのアピールも兼ねて、先日行ったパート練習の様子をここで少しお伝えしようと思います。
2月に行われる団内発表会に向けた第1回目のアンサンブル練習でした。
1月にしては暖かい昼下がり、静かな『岩倉』の家並みの中を、温かく澄んだホルンの音色が流れ・・・なんて優雅なものとは程遠く、まずは初見大会からのスタート。何度か合わせていくうちに、何となく曲の雰囲気は掴めたものの、何と言いますか、「もごもごとした(?)アンサンブル」というのが私の正直な感想です。しっかり練習せねば!!本番までもう少し練習する時間がありますので、本番にご期待ください。
・・・これ、アピールになっているんでしょうか?もし、この『団員の声』をご覧になって、せせらぎのホルンパートに少しでも興味を持っていただけたら幸いです。そして、見学に来てくださる奇特な方がいらっしゃれば、ホルンパート全員で歓迎いたします。

勧誘もできたところで、次の『団員の声』に登場する方をご紹介します。次回は、トランペット「しばたなおこ」さんにお願いしました。まだ入団されて数ヶ月の新鮮な声を、私自身楽しみにしています。しばたさん、よろしくお願いします!


No_53(2009/03/05公開)
「団員の声」
しばた なおこ(Trumpet)

今回の団員の声を担当させていただきます、入団5ヶ月の「しばた なおこ」です。

私は、中学時にEuphを、高校時にTrpをしていて、ブランク4年で入団したんですが、まさか部活枠を終えてからも再開するとは思っていませんでした。
その理由は、『全然上手くないし、音楽のことも全然知らんし』という思いがあったからでした。
でも、ブランクの間も演奏したいという思いが無くなることはなかったので、あまり期待なくですが、ネットで幾つかの楽団を覗いてみました。

せせらぎは、まず、場所の近さで見つけたんですが、このページで『ブランクあったけど入った』・『アットホームで居心地がいい』というようすを聞いて、入団するならここにしようと決めました。

入団して実感したせせらぎは、
 世代・職業も違う人たちが
 切磋琢磨しつつも
 楽に、親しみ易い雰囲気の中
 技量にとらわれずに参加できる楽団

もちろん、演奏を雑にしているわけではないですが、コンクール等の受賞を目的とせず、演奏を楽しめる場所だと思います。
(まだ団員として日が浅いながら、僭越なことを申しましてすみません。お粗末さまでした。)

まだまだ自分の技術の無さに不安もありますが、こんな私でも周りの励ましに後押ししていただき、楽しむということを大切に参加できる場所がここにはあります。
音楽的なこと以外にも、色々な人との交流でおもしろいです。

部活の引退からあきらめている方も、気軽に見学にいらしてください。

運が良ければ(?)Tb吹きのお兄さんが椅子を潰しているかもしれません。
これは何度かあるようですが、演奏中に起きる、笑顔が溢れ和む事件でした。

さて次回の団員の声を担当してくださいますのは、ユーフォの「ふくち かよ」さんです。
この方は、小学生のお子さん二人の子育てをしつつ、お仕事もこちらの練習も両立していらっしゃいます。
せせらぎには他にも、まだ幼い子を持つ団員さんが多くおられ、練習場所にも一緒に連れて来られています。

ここではお子様のお友達も増えますよ。

かよさん、忙しいとは思いますが子育てママのお話、是非聞かせて下さい。
よろしくお願いします。

以上です。
しばたでした。



No_54(
2009/07/01公開)
「無題」
ふくち かよ(Euphonium)

 はじめまして・・・せせらぎEuph.の「ふくちかよ」と申します。せせらぎに入団しまして早?年・・・ナイショ(^^)(年をとりますわ〜)

 思い起こせば、高校を卒業して、同級生に、Tp.のアドリブソロを書いてほしいと頼まれOKした私。
「じゃあ、次の金曜日の6時ね」と約束し、そのまま演奏会にまで出演することとなり、おまけに、Euph.まで買ってしまって・・・現在に至っております。

 その時の演奏会・・・せせらぎコンサートではなく、「音楽の病」という題のコンサートでした。第1回は堀川吹奏楽団として、現役高校生の時にも参加させていただいたような・・・そんな時もありました。(あ〜年齢がばれる〜)

さてさて、私の自己紹介へとまいります。

 小学3年のしょうた君、年中さんのなおちゃんの母であり、毎日、娘のかわいいお弁当をつくり、(パパさんには無くてゴメンね)掃除、7人分の洗濯、食事(時々、弟家族と食べる時は11人分の食事)を作ったり、幼稚園のPTAのお手伝いをしたり、
普通の主婦をしながら、午後から、ヤマハ音楽教室で講師をしています。

 教室では、3歳のクラスから、上級、さらにシルバー、70歳くらいまでの方を対象に、グループレッスン、個人レッスンをしています。家に帰ってから、こそこそとデータをつくったり、編曲、楽譜書きなどなど・・・しています。

 1日、24時間以上ほしいです〜(**)でも、いろいろと家族に助けてもらえ、感謝しています。孫のためならエンヤ〜コラと助けてくれる、ふくちちちはは。くぼたちちははばば。弟夫婦。しんどい時には無理をせず、まあ〜いいか〜(^^:)という気持ちで、頑張っています。私のストレス解消法は、料理を作る。もちろん食べる事も好きなので、美味しかったお店の味を覚えて再現してみたり・・・。金曜日には、せせらぎで思い切りせせらぐ事。楽器を吹くとイヤな事も忘れてスっとします。それと、今は、エコクラフトという物で、籠のバックも製作中!夏に使える素材です。完成したら冬かも(^^;)出来たら、せせらぎに持って行くので見てください!これも、楽しんでいます。肩のこる事、好きなんですよ!

 長々とかきましたね・・・さあ、いよいよ日曜はせせこん本番ですね!みんなで楽しい演奏会にしましょう!

 次は、「音楽の病」に出られた方!にお願いしようかとおもいますが、誰がいらしゃったか分からないので、教えてくださ〜い!
「ふくちかよ」でした。

No_55(2009/09/29公開)
「まだまだ頑張ります」
やまざき きょうこ(Horn)


 ホルンの「やまざききょうこ」です。旧姓「いとう」なので、今でも「イトウさん」又は、「イトウちゃん」と呼ばれることもあります。せせらぎには、ずいぶん前からいますが、自分で見こんなに長く続けられるとは思っていませんでした。
 自分の楽器がなかった私は、高校を卒業したら吹奏楽も卒業だと思っていました。でも、そのころ吹奏学部のトレーナーだった(今は指揮者の)「きむら」さんから楽器を譲ってもらえることになりました。そして高校を卒業してすぐにせせらぎに入団しました。「まだ18歳!!」「若〜い。」と言われたころが私にもあるのです
 それから10年ほど、せせらぎを中心にした生活でした。その後、結婚しても練習場から遠くなっただけで今まで通り生活の一部として続けられましたが、出産、育児となると自由な時間がなくなり休団。「もう復帰できないかも。」と思うようになりました。そんな時に、せせらぎコンサートの受付の手伝いを頼まれ、これからまた少しずつ始めようかという気分でいると、「本番当日があいているのならホルン吹いて。」と言われ、心の準備もないまま復帰して今に至っています。
 まだまだ頑張ります。 


No_56(2009/12/09公開)
「無題」
いとう ゆきこ(Flute)


はじめまして。フルートの「いとう」です。
埼玉県出身で、現在滋賀に在住で、夫と大学2回生、高校2年生の息子たち、犬のコナツ(ゴールデン)の4人と1匹で住んでいます。(以前は京都の太秦に居ました。)
ホルンの「やまざき」さんから旧姓のイトウつながりということで、今回私が担当させていただきます。(ちなみに旧姓「とがわ」です。)

 せせらぎさんに参加させていただくようになって約1年になりました。
これを書くにさいして、今までの「声」をつらつらと読んでおりましたら「10代から40代までの幅広い年齢層・・・」的なところがありまして、私、確実にその幅をひろげてしましました。

 もともと中・高・大とクラリネットを吹いていました。
学生時代にフルートを吹いたのは夫の方ですが、仕事につくと同時に楽器は忘れさられ、長いこと押入れの中で沈黙していました。私も、なぜかクラリネットを買わなかったので、卒業とともに吹奏楽は昔の良い思い出のひとコマになっていました。下の息子が年中さんの時に、フッと「よし、来年の卒園式でフルートを吹こう」と思い立ち、夫のフルートをオーバーホールに出して(6万!)レッスンに通い始めて13年目になります。

 なんで再び吹奏楽かというと、よくあるパターンで上の息子が高1でブラバンに入り、コンクールだ、文化祭だ、定演だと聴きに行っているうちに、自分でも合奏したくなってしまったわけです。今、息子は大学の軽音でドラムづけの日々です・・・(4年で卒業大丈夫か・・・?)下の息子もブラバンにいちおしでせまったのですが、かたくなに拒否され、私の楽しい日々は2年で終わってしまいました。学生時代はほぼ毎日クラリネットを吹いていたので、いまだにB♭の音階がしみついていて、ミの音はD、ソの音はFとうかんでしまい、なかなかややこしいです。また、長いこと個人レッスンでフルートはやっているので、(先日発表会があり、あ〜あな感じでした・・・)まわりの音を聴いて合わせるのに慣れていなかったので、練習の始めに音階をするのはとてもありがたいです。

 1年の半分を校正の仕事をしているので(7・8・9月は休団させていただきました)

目を酷使していたせいか、年齢の割に老眼!!がすすむのが早く、近くも遠くも良く見えないので、眼鏡の調整が実にややこしいです。暗いと見えないのでせせコンの ステージがライトで暗くなった時はあせりましたです。どこかでお会いしても知らん顔をしていたら、「いとう」は見えていないと理解して下さい。目は大切に・・・

 最近、スーパーキッズオーケストラのTVを録画したものを何かの折にみています。演奏会のアンコール曲の「リバーダンス」が最高で、毎回涙が出てしまいます。一所懸命やっている姿をいうのは人の心を動かすし、子供達はとても輝いています。高2の息子も、これはカッコイイと評価しているみたいです。「バイオリンどう?」とふると、「ふっ」と軽く笑われます。(あと、リベラの合唱もgood、古いですが、ジョン・マクラノリン、アル・ディ=メオラ、パコ・デ・ルシアのスーパーギタートリオの演奏もスゴイ!)

 合奏から30年近くはなれていた私ですが、受けいれていただけてうれしいです。ネットで調べて、いくつか見学もしたのですが、練習の曜日とか、週あたりの回数や時間、場所、そして何よりもその団体のムードなどなど、なかなかエイヤッ!とふみ切れませんでした。
せせらぎさんは、何となくいても大丈夫なのかな・・・?(何が・・・?)と思うところがありました。自分の子供たちとそう変わらない方が多いなかで、少々(?)異質な存在ですが、やっておけば良かったと後悔したくなかったので、ちょっと無理してしまいました。ご迷惑をかけることもあるかと思いますが、御容赦下さいませ。

 では、次は同期入団、関東人つながりで、同じくフルートの「あべ」さんにお願いします。


No_57(2010/01/14公開)
「無題」
あべ まいこ(Flute)


「いとう」さんから回ってきました。東京出身の「あべ」です。
「東京」出身というと必ず、「すごーい!大都会!」と言われるのですが、私の育ったところは山梨との県境。大都会とははるかに縁遠い暮らしをしていました。山々に囲まれ、川は上流で、ニジマスや鮎が釣れます。東京のセレブが日帰りで訪れる観光地です。
「なぜ「京都」に?」と思われると思いますが、それは「縁」としかいいようがありません。
 私は「学校のセンセイ」という夢があり、東京では縁がなかったようです。京都でその夢を実現し、現在に至っています。
せせらぎに入団して、1年が過ぎました。この1年本当に充実した時を過ごしました。やっぱり音楽が大好きです\(^o^)/

私はずっと「音楽」に囲まれて過ごしてきました。物心がついた時からピアノや音楽教室に通い、小学校の時は少年合唱団に入団していました。入学した中学校には吹奏楽部がなく、合唱部に入部し、NHKコンクール(都大会銀賞)などに出場しました。高校でも合唱部に入部しようと思いましたが、なんと部員が10人しかおらず、ほとんど活動していなかったのです・・・。
そこで元々興味があった吹奏楽部に入部しました。
私は「トロンボーンを吹いてみたい」と思っていました。しかし致命的なことに、マウスピースが鳴らなかったのです・・・(T_T) そのため、金管楽器は絶望的。そして木管楽器へ。クラリネットを薦められましたが、またまた致命的なことに小指が短く、キーを押さえられない・・・(T_T) そして唯一音が出て、キーを押さえることができたので、フルートに・・・ということになりました。人気楽器だったこともあり、パートは飽和状態。・・・というのも全部員30人弱しかいないのに、フルートは6人もいたのです。そのため、人数の少ないパーカッションと掛け持ちすることもありました。
 すっかり吹奏楽の魅力にとりつかれ、大学に進んでも吹奏楽部に入部しました。するとビックリ!!本当に「部活」なので、上下関係の厳しいこと・・・。そして本当に体育会系並みに練習、練習・・・の日々でした。高校ではコンクールに出場することはなく(顧問の先生が「音楽に優劣をつけるのが嫌い!」という考えで)、楽しく仲良く演奏していたのですが、大学ではコンクールでいい成績を取ることが目標。かなり厳しく大変でしたが、そのおかげで色んな大曲にも出会えたし、技術が向上したな〜と思います。

卒業して、夢を実現するために勉強しながら講師として○年、学校で働いていました。その時も「吹奏楽をやりたい!」という気持ちがありましたが、「夢を実現していないのに・・・」という気持ちがあり、ずっと楽器から遠ざかっていました。
京都で夢を実現し、「吹奏楽やるぞー!!」と意気揚々と「初!!一人暮らし」を始めましたが、生活と仕事に慣れるのに精一杯の毎日・・・(*_*) 吹奏楽のことをすっかり頭から抜けていました。しかし仕事場から往復するだけの毎日に、空虚感が次第に増していきました。そんな中ふと頭に「吹奏楽」が蘇ってきました!
すると、いてもたってもいられずパソコンで手当たり次第「吹奏楽団 京都」で検索していました。そこで、この「せせらぎ」のHPと出会いました。「団員の声」からせせらぎのアットホームな雰囲気が伝わってきて、「ぜひ見学してみたい!」と思いました。見学して、勉強や仕事を持ちながらも、高いレベルを維持している楽団で、すぐに「ここにしよう!」と思いました。久しぶりの合奏は感激でした。チューニングとか基礎練習とか、一つ一つが懐かしかったです!そしてこんな私にも皆さん温かく受け入れてくださり、本当に嬉しかったです。入団してすぐ団内発表会があり、アンサンブルにも参加させていただきました。楽器を吹く楽しさを実感しました(^_^)

週に1回の練習で、私の生活にもハリが出ました。仕事で参加できないこともありますが、合奏をするとストレスが吹き飛びます!この長い文章を読んでくださった方!ぜひ「せせらぎ」に見学にいらしてください!楽しいですよ!音楽を楽しみましょう!!
さて次は、忘年会で私の前に座っていらっしゃったオーボエの「むらいし」さんです。以前せせらぎにいて、めでたくカムバックを果たされました。よろしくお願いします!



No_58(2010/06/10公開)
「無題」
むらいし えりな(Oboe)

大変お待たせいたしました。
このたび,せせらぎに復帰しました,オーボエの「むらいしえりな」と申します。
 
私がせせらぎに最初に入団したのは,大学1年生の冬。
中学・高校とオーボエを続けていたのですが,大学では別のことにも目を向けてみようと思い,
ボランティアを始めることにしました。
しかし,吹奏楽とともに過ごしたまぶしかった10代を忘れることができず,吹奏楽への思いは募るばかり。
そんな矢先,高校の部活で一緒だった友人から「せせらぎに来てみんけ?」との連絡が来ました。
はりきって見学に行き,入団を決めました。楽団のあたたかい雰囲気がとても印象的でした。
 
当時は大阪に住んでいたので,片道2時間近くかけて練習に通っていました。
学生だった私にとって,せせらぎは音楽だけでなく,仕事をすること,家庭を持つことなど,
人生についても教えてもらう場になっていたのだなと今,思います。
「いろんな立場を持つ団員さんがいて、そこから奏でる音楽は一つ」ということに重み・深みを感じていました。
 
大学卒業後は地元に帰ることになり,せせらぎを退団。
 
しかし,その後,縁あって京都で暮らすことになりました。
京都に来て最初の頃は,新しい環境についていくのが精一杯で,
果たして再び音楽を続けていけるか,いつも不安でした。
せせらぎのことはずっと気になっていたのですが,なかなか再入団する決心がつきませんでした。
迷っている私を後押ししてくださったのは,せせらぎの団員のみなさまでした。
再びあたたかく迎えていただき,本当にありがとうございます。
以前よりお世話になっている団員さん,今回新たにお会いした団員さん,
あの頃と変わらぬ,やさしさでいっぱいのせせらぎで演奏することができて,とてもうれしいです。
 
これからもせせらぎが,音楽を続けたい気持ちを大切にできる場所でいられるように,
私自身も楽しく続けていけたらと思っています。


次回の団員の声は,
お名前のイメージぴったりのお人柄,ユーフォニウムの音色がとっても柔らかな「もちづき」さんに
バトンをお渡ししたいと思います。




No_59(2010/08/12公開)
『趣味とともに』
もちづき みつる(Euphonium)


ユーホニウム吹きの「もちづきみつる」です。

 ?ユーホ、?ニューセンチュリースタジオ、?吹奏楽団せせらぎ、僕が趣味を続けるにあたって、人を除き長年に渡り関わってきた順番です。

 通称「ユーホ」、でもその楽器名を知っているのは、吹奏楽に関わっている人のみでは無いかと思うローカルな楽器を手にしてから33年が経ちました。中学の吹奏楽部に入部して楽器を決める際に、顧問の先生が「君は背も低いし、唇がやや厚いから、この楽器を吹きなさい」と手渡された時は「何これ?」と思いましたが、振り返れば、自分に一番適した楽器を与えてもらったと感謝しています。
 そうそう「ユーホ」で、最近ちょっと嬉しかったニュースがあるのですが、うちの息子が中学校の音楽の授業の際に、先生(ユーホ吹きらしい?)がユーホを出して「この楽器の名前知ってる人?」と聞いたらしいのですが、息子はしっかりと名前を覚えていたらしく「ユーホニウム」と答えられたと言ってました。答えられてしまった先生は、困った顔をして「何で知ってるの?」と聞いてきたらしいです。まったく関心がないように見えて覚えていてくれたのは、ちょっと感激でした。

 次に長く関わっているのが、「ニューセンチュリースタジオ」です。せせらぎの前に所属していたバンドから通算すると、約27年間お世話になっている練習場所です。このスタジオは、国内でも珍しい個人宅で、地下に50人規模の合奏ができるスペースがあります。スタジオができた約30年前は、本当に京都市内にまともに練習ができるホールがなく、一般バンドも数えるほどしかなかった時に、当時吹奏楽団ハイブリッドの団長をされていた大西さん(スタジオのオーナーさん)が、ご家族の反対もあったようですが、みんなのためにと建てられ、多い時には、7団体が使用していました。毎週決まった時間に練習ができる場所があるというのは、楽団の運営もしやすく、本当にありがたい事です。スタジオができた1981年以降の一般の吹奏楽コンクールの京都府代表は、市内に市営ホールが建ち始めるまでの10年以上の間、ニューセンチュリースタジオで練習をする楽団ばかりで、僕は以前よりこのスタジオが「京都府の一般吹奏楽団の発展に欠かせない場所であった」と思っています。
 それから、たぶん大西さんは、スタジオを建てられた時には、予想もされていなかった事だと思いますが、楽器を吹きに集まった人達がここで出会い、その中で結ばれたカップルが、利用するすべての楽団を合わせると、100組どころではないと思いますし、我が家もその中の1組に入ります。ニューセンチュリースタジオは、練習場所としてだけでなく、縁もいただいた大切な場所です。

 そして、3番目に長くに関わっているのが、「吹奏楽団せせらぎ」です。せせらぎへは、高校の後輩で指揮者の木村君に「先輩そろそろうちに来ませんか。」と誘われ入団。今年で15年目になります。当時は40名足らずの楽団でしたが、今では60人を超え、エキストラなしでも演奏会ができるようになりました。せせらぎの良さは、老若男女が集まって飲んで(※必須)話し合って運営しているところで、自然な流れの中で、「音楽」、「運営」、「お金」の3つがバランスよく区分されてきたのと、若い人が運営に参加し先頭に立っているので、練習では毎週欠かさず基礎練習をし、初めての曲はゆっくり、きっちりという練習方法、それに節約志向なので、新しく入団された人でも敷居が低く入りやすいのではないかと思います。とは言え、演奏会では結構難易度の高い曲にも取り組んでいます。

 振り返れば、ユーホを手にしてから今までの人生の中で、楽器を吹くことの価値観は、その時々で大きく変わってきました。中学、高校時はコンクールが第一。学生時代は、吹きたくてもコンサートの分担金を払うお金もなく、アルバイトやプライベートが忙しく吹くことを時に忘れ、社会人になると、逆に息抜きにと楽器を吹くことが楽しみになっていました。アメリカに遊学した時には、楽器が国境をなくしてくれました。結婚後は夫婦で吹いていましたが、子供が生まれると、子育てのために楽器を置いた嫁さんに遠慮せず当たり前のように吹き続けたことで、喧嘩になったこともしばしば。最近は、仕事が忙しく、楽器を吹く時間がほとんどなくなってしまっていますが、いずれまた吹きたくなる時が来ると思っています。
 学生、就職、転勤、昇格、転職、結婚、子育て...。その時々で、趣味の価値観は変わりますが、続けることのできる環境があるなら、それは幸せだと思います。

 さて、次の団員の声は、高校の後輩で、夫婦で長くニューセンチュリースタジオに通っている、パーカッションの「かさはらかつみ」君にお願いします。


No_60(
2010/12/12公開)
『無題』
かさはら かつみ(Percussion)

「もちづき先輩」からバトンを渡され早4ヶ月。長い間止めてしまいすみません。パーカッションの「かさはらかつみ」です。
僕とせせらぎ、これが意外と古くからの付き合いで、さかのぼる事・・・。
今から22年前のとある土曜日。当時の勤務地である彦根の現場事務所にマエストロ「きむらすすむ」から電話がありました。

すすむ:かつみ明日暇やろ?
僕:いきなり何やねん。明日は休みやし《音楽の病》聞きに行くけど。
※注釈・《音楽の病》とは堀川・成安・久御山・洛西の各高校OBバンドの合同演奏会
すすむ:よかった〜。ステージマネージャーしてくれへん?
僕:はぁ? 明日本番やのに今頃なに言ってんの。
すすむ:まぁそう言う事やし朝9時に子供文化会館に来てな。じゃあ又明日。

てな具合でステージマネージャーをやる羽目に。
それを機会にせせらぎ(当時は堀川吹奏楽団)のレクレーション等にちょくちょく顔を出し初め、毎週金曜の練習後に開催されるマージャンに参加するようになり、翌年からは演奏会にも出演し、数年後には準団員に(当時は別の楽団に所属しており、京都府吹奏楽連盟に加盟していた両団体に掛け持ち入団は不可だったため)。その後準団員制度が廃止され退団しましたがエキストラとして演奏会には出続けました。当時は少人数だった為、夏の合宿やバーベキュー、祇園祭や初詣、どれもほぼ全員参加でアットホーム的で、今とは又違った楽しさがあったなー。みんな若かったしなー。
そしてせせらぎ団員の「けいこ」と結婚し、しばらくして正団員側の楽団に専念するためせせらぎを離れました。その間せせらぎも代替わりし、大所帯に成長しましたね。

現在は正団員になり夫婦でせせらぎにお世話になっているわけですが、長女が僕と同じパーカッション、次女が奥さんと同じトロンボーンを中学の吹奏楽部で演奏し、まさに音楽一家を満喫してます。
親子二代でせせらぎ団員になるまで、もう少しせせらぎで頑張るつもりです(笑)
皆さん宜しくお願い致します。

オッサン続きだったので、次は若者にバトンを渡します。
「みさき」ちゃん、お待たせしました。宜しく!


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