団員の声 | ||||
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※文章中に出ている役職名・パート名はその文章の公開時のもので、現在と異なる場合がありますのであらかじめご了承願います。
No_21 (2004/12/01公開) 「定演以来、金曜練習おさぼりしている安井@バリサクです。」 やすい たくゆき(Baritone Saxophone) 音楽が好きでした。3人の子供は音に関する名前にしました。ブラスにはまったきっかけはご他聞に漏れず、中学入学時、部活を決める時の見学で、合奏により生み出されるハーモニーに圧倒され、この道を行こうと決意しました。中高とブラスが弱い学校で、定演をやったりコンクールで金賞受賞したりする学校をうらやましく思っていました。高校生の時に聞いた一般バンド(岡山吹奏楽団)の演奏会が、学生の統制された演奏と違って、自主的で自由な「いい」感じがして、就職後は一般バンドで吹奏楽に関わりたいと思いました。 せせらぎには妻ちはる(バスクラ)と共に3年前に入団しました。京都には転勤で来ましたが、長女の通う幼稚園で指揮者の木村君と一緒になったのがきっかけでした。当時は日本を代表する銀行が次々に破綻し、日経平均株価は最安値をつけ、同業他社の再編が相次ぎ、リストラ以前に会社自体どうなるか不安な毎日であり、妻だけ入団してもらうつもりでした。しかしバリサクがたまたま空席で、実は死ぬまでにもう一度、あの振動に身を任せたいと思っていたこと、さらに、ずっとやりたかったけど機会が無かった「木星」を木村君のオリジナルアレンジでやるとのこと、少し吹いてみてそのアレンジがとても気に入ってしまったことで一気に深みにはまってしまいました。 今でこそせせらぎも団員が増えましたが、当時は人も少なく、特にチューバ奏者が居なかったこともあり、せせらぎの低音域を支えるという気持ちで、極力毎回練習に臨みました。他府県の一般団体に比べ、少人数ながら皆さんの技量は高く、参加するからには迷惑をかけないように、毎日仕事が終わってから寝る前に指をさらいました。はまりやすい性格もあり、気持ちの入れ込みようは半端ではなく、家族の次に、時には仕事より大切に思っていました。奇しくも、映画「ブラス!」の中で指揮者ダニーは、景気が悪く、先行き不安な苦しい生活の中、ともすれば希望を失いがちな団員の炭鉱労働者たちに言っています「音楽こそ、人生で何よりも大切なものである」と。金曜の夜、1週間のきつい労働を終え、上司の酒飲みの誘いも断り、合奏でストレスを解放する、そんな時間はとても貴重に思えました。たとえ練習に間に合わなくとも、皆の顔を見るだけで気持ちが楽になるとまで思っていました(それは僕の勝手な思い込みだったのだけど)。 その後、景気が回復し、残業が増えて平日練習はとても出られなくなり、また、若くて優秀なサックス奏者・チューバ奏者ほか新しい団員さんが続々と入団されたほか、死ぬまでに一度やっておきたかったアルメニアンダンス、ウイリアムテル、威風堂々、オリエント急行を演奏することが出来たため、もう思い残すことも無いと思っている昨今です。 最後に一言、最近団員さんが増えて見た目はにぎやかですが、合奏の品質は人数の少ない頃の方が良かったように思います。自己責任で技術を維持向上し、曲に愛着を持って1回1回の合奏を大切にしてほしい。烏合の衆となって空中分解しないよう、陰ながら願っています。 次は、わがサックスパートの期待の若手・今いちばん頼れる男、「やましたくん」よろしく。 No_22 (2005/01/01公開) 「渾身の1255文字、ご覧ください。」 やました けい(Alto Saxophone) せせらぎサックスパートの「やました」です。ご指名を受けましたので、今月の「団員の声」を担当させていただきます。お決まりのパターンになってしまいますが、僕がせせらぎに入ったきっかけについてお話したいと思います。 僕がせせらぎに入団したのは、2002年の夏のことです。 同じ年の春に大学受験に失敗した僕は、予備校に通うために田舎から京都に出てきて一人暮らしをしていました。はじめのうち、勉強ばかりの味気ない毎日のなかで僕の唯一の楽しみは音楽でした。 暇を見つけてはサックスを持って鴨川に出かけ、一人で何時間も吹いていたのです。 しかし、京都での生活をはじめて2ヶ月も経つころには、もう鴨川に出かけることは無くなりました。サックスを吹くことが楽しくなくなったのです。 小学校のブラスバンドでサックスを始めて以来、吹くことが楽しくないと感じたのはそのときが初めてでした。原因はいろいろあったと思いますが、何よりも大きいのは「一緒に演奏する仲間がいない」ということでした。 そのことに気づいた僕は、浪人生という立場にも関わらず、どうしてもまたバンドの中でサックスを吹きたくなり、(親には内緒で)ネットで京都市内の一般吹奏楽団を探し始めたのです。 そして、たまたま最初に見学した楽団がせせらぎでした。 久しぶりの合奏は、僕にサックスを吹く楽しみを再び思い出させてくれました。 僕にとっての音楽は、やはりアンサンブルする仲間があってこそのものです。 はじめは、せせらぎの他にも幾つかの楽団を見学するつもりでいたのですが、せせらぎの雰囲気がすごく気に入ったので、結局そのまま(親には内緒で)入団してしまいました。 入団したばかりのころの僕は、数ヶ月間にわたる味気ない生活のおかげで人と接することが億劫になってしまっていたのですが、団員の皆さんはすごく親切にして下さって、やがて僕も打ち解けて話せるようになりました。大学入試に合格したときも、実家の次に電話したのはせせらぎサックスパートのパートリーダーさんです。 まさにせせらぎは僕にとって「第二の家族」と言っても過言ではありません。 今になって思えば、受験の時には団員の皆さんに随分と心配をかけてしまいました。 いや受験の時に限らず、いまでも僕はたびたび迷惑をかけています。 それでも僕が窮屈な思いをせずにせせらぎにいられるのは、やはりそれだけせせらぎが懐の深いバンドだということでしょうか。(あるいは僕が図々しいだけかもしれません。) 「アットホームな雰囲気」と言うとありきたりになってしまいますが、それがせせらぎの魅力なのではないかと僕は思います。 このホームページをご覧の方にも、せせらぎの演奏を聞きに来ていただければそれが分かっていただけるのではないかと思います。 さて、次回の「団員の声」では、久々に若い女の子に登場してもらいましょう。クラリネットパートの若手ホープ、「ごとうさやか」さんです。 皆さん、ご期待ください! (※思わず「ごとうさん」のことを「若い」と言ってしまいましたが、僕も同い年です。) No_23 (2005/02/01公開) 『京都の中心で(?)、せせらぎに出逢う』 ごとう さやか(Clarinet) 「さやちゃんの実家って、信号ある?」 「ありますよぉ〜」(^^)(どれだけ田舎って思われてる?) 「海見たことないんだって?」 「見たことあります」(^^;)(そりゃ、山のほうが多いけど) 「大分弁しゃべってみてよ。」 「嫌っちゃ。」(;−;)(う〜〜〜〜っっ) こんな感じで始まった、私の「せせらぎライフ」も三年目に突入しようかというところです。大学一回生から今まで続いてきたのは、やはり親切で音楽への熱い情熱を持ったお兄様方と、綺麗で可憐なお姉さま方に支えられてきたからだと思っています。その点で団員の皆さんには本当に感謝しています。 私も、前回ご紹介いただいた「やましたさん」と同じように、出身地は京都ではありません。(せせらぎには結構そういう学生さんが多いです)志望の大学に落ち、九州は大分県(現在、大分県出身者三人います^^)から京都に出てこなければならない状況になりました。楽器は続けたいと思っていたので、大学の吹奏学部に入りましたが、あまりの人数の少なさに合奏するおもしろさを感じることができずに、さっさと退部届けを出してしまいました。さあ困ったことになった・・・ということで始めたのが、就職活動ならぬ入団活動でした。そして、インターネットと幾日もにらめっこして見つけたのが「せせらぎ」でした。早速見学に行くと、ちゃんと椅子を用意してくれており、なんだか自分の居場所を見つけたように「ほっ」としました。その椅子に腰をおろして三年。一番前の席で「あっ、小節間違えた」「ひょ〜っ、♯はずした」(^^;)と、変な汗をかきながら(笑)クラを吹いていて思うことは、神様から「せせらぎ」という素敵な「縁」をもらったなということです。21そこらの私が言うのもなんなのですが、人生ってどこでどうなるかわからないものです(笑) もし、今「一般の吹奏楽団に入ろうか・・・どうしようか・・・。」と悩んでいる方がいれば、たくさんの楽団を見学してみるのも一つの方法だと思います。その上で、一番、自分の居心地がよいと思うバンドを見つければよいのではないでしょうか(^^)そのバンドが、偶然私と同じ「せせらぎ」であれば、とてもハッピーに思います♪練習場所の扉はちょっと開けにくいですが(笑)運命に導かれて新しい団員さんがその扉を開けるのを、みなさん首をなが〜〜くして待っています(*^^*)その時は、ぜひぜひ一緒に楽しく楽器を吹きましょう。 せせらぎの魅力を語り尽くすのに言葉足らずになってきたところで、次の方にバトンを渡したいと思います。いつも私のお世話をしつつ(笑)、クラパートの秘書的な役割を果たしているしっかり者のお嬢さん。「こまつばらけいこ」さんです☆こまっちゃん〜〜〜出番ですよ。 よろしくお願いします(^。^) No_24(2005/03/15公開) 「せせらぎに入って何年?」 こまつばら けいこ(Clarinet) 「こまっちゃんはせせらぎに入って何年?」 たまに聞かれるこの質問に私はいつからか間違った答えを返していました。 去年の暮れに、聞かれた時も、実際は2年だったのですが「3年です」と。1年増えていました。^ ^; というのも、入団してから、毎週の練習はもちろん、臨時練習や実行委員会や演奏会があったり、また、遊びに行ったり飲みに行ったりといろいろと出かける機会が増え、そしてそれがすごく楽しくて、充実しているからなんだと 思います。(っていうか単にボケてるだけ…?!) 入団してまだ半年とか1年とかしか経ってない団員さんたちとも随分前から一緒に楽器吹いてる気がしてならないんですよね〜。 「え?あの時い〜ひんかった?!」「まだ入ってなかったですよぉ」なんて会話が良くあります。 せせらぎに入って、いろんな団員さんたちと出逢えて(しかもいい方ばかりです^ ^ )ほんとによかったです。 これからもこの、楽しくて充実した"せせらぎライフ"を長く続けていきたいと思っています。 さて次は、このHP管理人の「こばやしひでき」さんにお願いしたいと思います。 こばひでさん、締め切りかなり過ぎてすみませんでしたぁ。>_<。 No_25(2005/04/15公開) 「せせらぎで『音』を『楽』しむ」 こばやし ひでき(Clarinet) クラリネットパートの「こばやしひでき」です。 先代ホームページを担当されていた「あおきさん」が多忙のため、私が更新を引継ぎ2月で1年が経ちました。 そして、『団員の声』が復活してからも、5月で1年が経とうとしています。 『団員の声』は「自分は団員の皆さんに執筆をお願いする立場なので回ってこない」と高をくくっていたのですが、ついに前回の「こまっちゃん」に指名されてしまいました。 いざ自分に回ってくると「何を書こうかなぁ〜」と悩みましたが、せせらぎとの出会いを書いてみようと思います。 せせらぎとの出会いは、「とある駅」に掲示されていた2年前のせせらぎコンサートのポスターでした。 当時、私は楽器をやめていたのですが、コンクールなどには出ていない、純粋に演奏を楽しめる楽団があれば入団したいと思い、いろいろな楽団の演奏会にちょくちょく出かけていました。 家に帰ってから早速、せせらぎのホームページにアクセスしました。 過去の演奏会の写真(みんな演奏している時よりも飲んでる姿が楽しそうだったのは気のせい?)など、見ているだけでこちらまで楽しくなってくる感じがしました。 でも、なんといっても心動かされたのは今執筆中の『団員の声』での皆さんの投稿でした。 せせらぎ歴の長い団員さんから入りたての団員さんまで、楽器経験の豊富な方から浅い方まで、また上は50代の方から下は10代の方まで、分け隔てなく一緒になって楽しんでおられる雰囲気が伝わってきました。 そして何かいつもと少し違う気分でせせらぎコンサートに足を運びました。 まず会場に入って立ち見まで出る観客の多さにびっくりし、またプログラムを見て団員の多さにもびっくりしました。 この観客の前でもう一度吹いてみたいと、演奏を聴く前にアンケートに「見学希望」に○をつけたのを今でも覚えています。 そして現在、妻を伴ってせせらぎに入団してから、2回目のせせコンを迎えようとしています。 せせらぎに入って本当に良かったと思っております。 私たちが入団した後にも、せせらぎには十数名の方が入団され、ますます大きな楽団になろうとしています。 せせらぎが今と変わらず、演奏を聴いてくださるお客さんと共に「音」を「楽」しむ、居心地の良いアットホームな楽団であり続けることを願い、次の方にバトンを渡したいと思います。 ここ数回、木管楽器の方が続きましたので、次回はパーカッションの若旦那(私より10も年上ですけど…)、「おのうえさん」よろしくお願いいたします。 「いっこう」さん、男から回してスイマセンm(_ _)m No_26(2005/05/15公開) 「音を和す楽しみ『せせらぎ』に和み人に和らぐ」 おのうえ いっこう(Percussion) 「えっ!オレが「団員の声」書くの?」 入団して、やっと一年の私が…、びっくりです。この企画に沿ってないかもしないけど、「せせらぎ」に入ったきっかけと、私の思いをお話しします。長いですがよろしく。 吹奏楽との出会いは高校。入学式翌日、同じ中学のクラスメイトに誘われ、そのまま入部。しかしそこは体育会系のノリのブラスバンドでした。とても厳しかったですよ。でもしっかりはまってしまいました。そのおかげで多くの経験と感動をもらった3年間でした。卒業後も、勢いあまって一般楽団に入り、勉強はそっちのけでバイトとバンドの大学時代。まさに私にとって「吹奏楽」どっぷりの学生時代でした。 しかし社会人にると、夢中になるのが「音楽」だけとはいかず、中途半端になり結局退団。私は、その対象を「仕事」へと切り替え、日常から「吹奏楽」は、こつ然と姿を消したのでした。 年齢と共に環境が変わると、学校や仕事、受験・学校・就職・転勤・結婚・子育て…などが理由で、趣味などをやめてしまうのはだれにでもあること。私の「楽器」という趣味も、終わったのでした。 ただ、吹奏楽の話をすることはありました。それはある友人と、酒を飲むとき。お互いの仕事や女の子の話をしてるうち、お酒が進むといつも必ず、「あなたは、仕事の話ばかりで駄目!」と、説教が始まり。そして吹奏楽の話に…。 最後は「もっと自分の時間持ちなさい。楽器しなさい。あなたには必要!」と、熱く(?)というより偉そうに、言い出します。 彼は、高校・一般と、一緒にやっていた二年後輩で、家業に就いても、結婚して子供が出来ても、吹奏楽に夢中でしたから、私も「お前とは環境がちゃうねん」と、聞き流し、その気など、全くありませんでした。 そんな中、一昨年、久しぶりに、彼と会いました。私は仕事に家庭にと色々と疲れていたこともあって、つい愚痴を・・、例の引き金を引いてしまい始まったのです。 「だから言ってるでしょ、あなたはうちの楽団でパーカッションしたらいいの!」…。 しかしその時は、素直に・・というより彼のしつこさと永年続けている楽団への思いと楽しさに興味を持ち、「やってみようかな」と、見学に行く約束してしまいました。そして、その楽団「せせらぎ」に出会ったのです。 十数年「楽器」から全く離れていた私は、それからも半年かかって、3回も見学に行き、やっと入団しました。 いざ練習に参加すると、あまりの出来なさに、悔くて、情けなくて、凹みました。でもそんな私に、「尾上さん演奏してはるとき、めっちゃ楽しそう」と声をかけてもらったり、同じ世代の団員さんも結構おられたり、特に高校時代の仲間が数人いて、連中が醸し出す「気のええおっさん」の雰囲気は、安らぎであり、助けられました。 この一年、楽器を演奏し、舞台にも立てたのは、「せせらぎ」の雰囲気も中だったからだとホントみんなに感謝なんです。 それに「せせらぎ」って、楽器を演奏するだけの楽団じゃないんですよ。 創設時からのメンバーが中心となって仲間への「思いやり」や「和」を大切にしてきはったこともすごく感じます。 演奏(合奏)となると、音を楽しむことはもちろんですが、それぞれ姿も性質の違う楽器を、いろいろな人が奏でて合わし、「和音」でひとつ音楽にしますよね。 そんなこと当たり前なんやけど、ブランクがあり、あらためて「せせらぎ」で合奏して、「音で和み」「音を和ます」その心地良さにはかなりはまってます。学生時代とは全く別の感覚です。 やっぱり演奏するのは人ですからまずその仲間が楽く和んでいる雰囲気は「せせらぎ」特有だからかなぁ。だから毎週、結構メンバーが揃って練習できていることにつながってるんですね。また、みんなのキャラもいい感じなんです。 気配り抜群で、いやな役目も率先してやってくれる役員さんをはじめ、気楽に声をかけてくれる若い団員さん、厳しいチェックと思いきや「グレイト!」とほめるマエストロ、「スンマセン」を連発の腰の低いパートリーダー、音楽好きのええおっさんたち、そして「私のおかげよ、感謝しなさい!」とお節介な例の友人などなど、ほんと豊富です。 そんな愉快な仲間だからこそ、いつも多くの団員が仕事・家庭・学校などがありながらもやりくりして、練習を欠かさないのだと思います。 入団を決めたとき「コンクールで金賞とったり技術の高い演奏をする楽団は他にもあるかも知れへんけど、今京都で一番ええ演奏すんのはうちやで」って、その友人のU君が言ったのが、今はなんとなくわかるように思います。 最近では、「もう何年もせせらぎにいはるみたい」とまで言われるほど和んでますが、楽器のほうは、まだまだ緊張で力が入り、足を引っ張ってばかりです。 最近のテーマはキャラを発揮して、仲間と音楽が大好きな「ええおっさん」の一員なること!でも、ホントは「いいおにいさん」が希望なんですけど…。 はぁ〜、いっぱい書きました、これが私の今の感想です。最後まで読んでくださった方、ありがとうございました。 さて、次回は同じパーカッションの「にしかわともか」さんです。彼女は入団が私と一週間違いなんです。練習熱心で私もかなり引っ張ってもらったんですよ。 朋ちゃんよろしくお願いします。 No_27(2005/06/15公開) 「せせらぎ」を感じてみませんか? にしかわ ともか(Percussion) 今月の団員の声を書かせていただきます、パーカッションパートの「にしかわともか」です。今までの団員の声でも皆さん書かれていますが、私もせせらぎとの出会いについて少し書きたいと思います。 私が吹奏楽をしていたのは中学生の3年間だけです。いつかまたやりたいと思いながらも、高校入学から大学1回生が終わるまで何の行動もおこせないまま過ぎていきました。そして2回生になる春休みに、大学生活が落ち着いたこともあり一般の楽団を探し始めました。インターネットで探してとにかくいろんなところに見学に行ってみようと、やっとのことで行動をおこしはじめたとき出会った楽団がせせらぎです。 多くの一般楽団があるなかで、いくつか連絡をとったりしていたのですが、実際に見学に行くのはせせらぎが初めてでした。スタジオにはいろんな年代の人がいて、そして皆さん共通してなんだかとても音楽を楽しんでいる感じが伝わってきて、緊張感もあるんだけど和気あいあいとしている・・・それは私が想像していた雰囲気とは全然違うものでした。練習が終わってからはいろんな人が次々に「どこからきたん?なにで帰るの?そっちやったら方向同じやし、一緒に帰ろう!」等と話しかけてくれました。緊張していた私にとってすごく嬉しかったです。いろんなところに見学に行こうと決めていたにもかかわらず、その日、家に帰るとすぐに入団申込書に記入をし、次の週に入団となったのです。 その日から4月で1年経ちました。吹奏楽経験が中学の3年間しかなかった私は・・・と言うと、入団当初から皆さんにいろいろ教えていただき、1年経った今でも皆さんについていくことに正直かなり必死ですf^-^;)でも、目標にする方も多くいて、“せせらぎ”のあたたかい空気の中で良い緊張感とともに、本当に楽しく練習しています。せせらぎに出会い、今はその一員でいられることに私は感謝でいっぱいです(*>_<*) まとまりのない文章をここまで読んで下さって本当にありがとうございます。 あなたも一緒に、“せせらぎ”を感じてみませんか??(^-^)/ それでは次は、トランペットパートの「かわはらさん」にお願いしたいと思います! ね〜さん、よろしくお願いします☆☆ No_28(2005/07/01公開) "せせらぎ”に入って早6年・・・" かわはら ゆきこ(Trumpet) せせらぎ・トランペットパートのね〜さんこと「かわはらゆきこ」と申します。 先月の「ともちゃん」からご指名を受けたワケですが正直、文章を書くのが苦手なヒトなので何を書いたらいいのか分かりませんが取りあえずワタシも“せせらぎ”に出会った経緯などを・・・。(;^_^A まず吹奏楽との出会いは中学生の頃でしたねぇ。その頃は友達に誘われて『まぁいいけどぉ・・・』というノリで入ってたんですがはっきり言ってやる気がございませんでした・・・・。と言うか、先生がキライだった(笑)``r(・_・;) で、自分の楽器を持っていたので何とか3年間は続けましたケド。。高校の頃は吹奏楽部自体がありませんでした。(..;) 社会人になってふと中学生の頃のコンクールのカセットテープ(古いナ・・・)(笑)を聴いて『あぁ、また楽器吹きたいナァ、楽器も眠ってるし、もったいないナァ・・』と思ってインターネットで吹奏楽団を探していたら“せせらぎ”を発見したので連絡をとって見学に行ったワケです。 雰囲気が良くて楽しそうな団だったので入団したのですがそれから早6年が経とうとしているンです。 あぁ月日が流れるのは早いですな。。(^^:)で、今はメッチャやる気マンマンで練習に勤しんでいますよ!(レッスンにも通っています!) みんなが言うように“せせらぎ”はホントに居心地が良くてアットホームな環境だなぁと思います☆打ち上げなどの飲み会も楽しいし・・・(^▽^)そんな楽しい団“せせらぎ”に皆さんも是非!いらっしゃ〜いぃ\(^O^)/ さてさて・・・次回の「団員の声」の担当はトロンボーンパートの「とだっち」こと「とだまさお」さんです☆ 先月の「ともちゃん」の帰る方向、西。「ワタシ」も西。「とだっち」も西方向。西つながりで・・・【-●_●)ノ″{ヨロシクぅ〜☆ No_29(2005/08/01公開) "「せせらぎ論」" とだ まさお(Trombone) 第18回せせコン後1発目の団員の声を担当することになったTrbパートの「とだ」です。 新しく入ってきた人は(古い人も?)意外かもしれませんが、まだせせらぎ歴2年目 (まもなく3年目突入)です。せせコンも18回でまだ2回目です。態度(体形も・・) がえらくデカイので、勘違いされているかもしれませんが、まだまだ新人です。 ただ、すでにせせらぎにどっぷり浸かってしまっているのは事実です。 さて、何を書こうかと考えたのですが、右にならえでみなさん書いておられる 入団の経緯等を書くのもおもしろくないな〜思い、ちょっと趣向を変えて「せせらぎ を支えているこの雰囲気の良さの原因はいったい何なのか?」と題し、と私なりに思 う「せせらぎ論」を展開していきたいと思います。入団に興味がある方はせせらぎの 雰囲気の本質をイメージして頂けたらと思います。 (尚、入団の経緯等を聞きたい人は酒の席にでも直接聞きにきて下さい。これも またいろんな偶然が重なったおもしろいハナシ?でもあります。) 1.やっぱり音楽をすることがみんな大好き 一般楽団に入ろうと思う人は大前提だと思います。学生時代に経験した音楽の楽しさ というのはみなさん共通して持っています。となると「やっぱり音楽がしたい」という 思いからは何事にも変える事ができない大きな原動力になると思います。 2.陽気なおじさん達(但し酔っ払い注意!) せせらぎには指揮者の「きむらさん」を始め、せせらぎのコアとなる30歳後半(もう40歳?) の男性の方が何人かおられます。実はこの方たちの中には吹奏楽の超名門高出身の 方や、名門一般バンドに所属されていた方がいます。そんな方達なので、音楽的な ことに関して非常に厳しいのか?と思いきや、そうでもなく、わかりやすく丁寧な 指導をして頂き、またそれを努力して克服したときには限りない賞賛をして頂けます。 (たまにキツイこと言われることもありますが・・。)こういったアマチュアながらも 吹奏楽の頂点を極めた方々が「技術偏重のコンクールバンドではなく、純粋に音楽を楽 しもう」とした思いが今のせせらぎの雰囲気の原点になっているのではないでしょうか? おそらくこの人達が本当に技術重視のコンクールバンドを目指すと、、考えただけでも おそろしや。ま、そうなると今のせせらぎは無く、私も入団していないでしょう。 陽気なせせらぎのおっちゃんたちで良かったです。 但し、この方達、酒が入ると恐ろしい変わりようで、なんでもアリの酔っ払いオヤジ と変貌するので、知らない方は要注意です。 3.影の努力者 せせらぎには役員の方々を始め、影で団のために絶え間ない努力をされている方々 がいます。運営はもちろんのこと、意見のとりまとめや人間関係、あえて悪役に なり、よりよい方向へ導いてくれる方などなど・・。またそういう人達に限って、 やけに忙しい職に就いていたりして、何故そこまでできるの?と尊敬したくなる 人がいます。こういった人の努力のおかげで今のせせらぎあるわけで、団員もそ の方達の努力を知っているからこそ、和が乱れないのではないでしょうか? 4.年齢にとらわれない交流 せせらぎの年齢層は、下は高校生から上は定年前のおっちゃんまで幅広いにも関わらず 年齢差による意見の食い違いがあまりみられないと思います。これは若い子好きの おっちゃん達が若い子にあわせているのか?あるいは年上好きな若い子が多いのか? これは私にもよくわかりませんが、「近頃の若いもんは・・」というような人がいない のは確実で、逆に一緒に騒いでたりして・・。普通会社なんかだと若い人は年上の人 達と飲みに行くのを嫌がったりするものですが、おっちゃんと女子大生が居酒屋でわき あいあいとビールや焼酎を酌み交わしている・・そんなありえない風景が普通に見られる のがせせらぎなのです。ちなみに私は年齢的には若い子なハズです・・。 5.多趣味 団員の中には音楽以外にも、鉄道を筆頭に写真、車、温泉、戦闘機、旅行etc・・。と他の 趣味をもっておられる人がたくさんいます。音楽以外の趣味の話題でも盛り上がる。また、 興味の無かった分野に足を踏み入れる。そんな風景ももせせらぎならではです。 6.最後は思いやりの心 せせらぎに入って一番思うのは、みんな回りや努力している人達に対して思いやりの 心や感謝の気持ちがあることだと思います。私も今では何故かせせらぎレクリエーション係(非公認) となってしまったのは周知の通りですが、もともと大勢で遊ぶのは好きでそういった企画をする事は 他にもあるのですが、せせらぎではイベントが終わると、「今日は本当に楽しかったです。」 「とりまとめご苦労様です。次なにかやる時手伝うことあれば言ってくださいね。」なんて声が帰 ってきます。そういう声を聞くと取りまとめたほうとしては、すごくありがたいことで、 またなにかやってやろうかなという思いにさせてくれます。よく考えたら当たり前の事なのかも しれませんが、世の中そんな当たり前のことができないんですね。 また、仕事が忙しくて練習にいけなくても個人で練習していればその努力に対してみんな認めてくれ、 あるいは技術的に未熟でもみんなで応援して、上手になれば「良くなったよ〜」と言ってもらえる、 そんな思いやりの意識がせせらぎの根本を支えているのではないでしょうか? ん〜まだまだ書き足りない(酒好きとか・・)気もしますが、長くなってしまったのでここまでとしました。まだ2年目で 知らないことがたくさんあって、変なこと書いてしまっているかもしれませんが、自分として2回目の せせコンを終えた時点で思うことです。これからもこの雰囲気を壊さずによりよきせせらぎにしていき たいものです。 さて、次の団員の声を誰に回そうかと考えたのですが、Trbパートリーダーとしてこの人 にTrbという楽器について熱く語ってほしいのと、私しかこの人に団員の声を書かせることができないの では?という使命感?から、Trbパート1(せせらぎ1?)の問題児、上に書いた陽気なおっちゃんの一人、 「なかがわひとし」さんにお願いしたいと思います。 ひとしさんよろしく!! No_30(2005/09/01公開) 〜団員の声30回目記念特別編〜 「警部!事件です!!」 なかがわ ひとし(Trombone) 更正・編集・html化 M.T
第1章 プロローグ 「警部!毎日こう暑いとバテますね〜」 40過ぎの山村刑事がハンカチで汗の流れる首筋を脱ぎながら言った。京都府警捜査一課のクーラーが3日前に故障したまま だった。 「島田君!まだクーラーは直らんのか?」 山村刑事のアタマからは湯気がたっている。 「さっきも総務に問い合わせました。そんなに怒らないで下さい!」 今年新任の女刑事島田は山村刑事に目をむいて言い返した。 「明日修理に業者が来ますから我慢してください!」 このクソ暑い中2人がケンカしだしたものだから 「まーまー、お二人さん、そうケンカしなさんな。山さんももういい年なんだから落ち着こうよ。なっ!山さん」 京都府警捜査一課 海川警部が二人をなだめた。海川警部は国立京北大学出身のエリート警部である。警視庁に十津川、 京都府警に海川と呼ばれている男である。それに正義感が強く、優しい女性に好かれるタイプ。 「なー山さん、アイスコーヒーでもどう?」 と、アタマから湯気のたっている、いかにも暑苦しそうな山村刑事と、新任の可愛い女刑事島田に国立大出身の エリート警部海川がアイスコーヒーを入れて二人のデスクの上にポンと置いた。 「あっ、警部。どうもすみません。」と山村刑事が言う。新任の島田刑事も 「あっ警部、優しいんですね。警部みたいな人がどうして独身なんですか?」と言った。 すると海川警部は何かを思い出したのか、窓ガラスに向かって「うーん・・・」とだけ言った。 第2章 捜査依頼 ジリリリーン ジリリリーン! けたたましく京都府警捜査一課の電話が鳴った。新任の女刑事島田が受話器を取った。 「ハイ、捜査一課」 「警部!事件です!」 新任の女刑事島田がけたたましく海川警部のもとへ走って来た。 「おーい、島田君どうしたんだね。いつも走るなと言っているだろう」 と山村刑事が言ったと同時に海川警部が自分のデスクの受話器を取った。 「ハイ!海川です」と相変わらず落ち着いた口調で言った。 「警部、ご無沙汰です。戸田です。」 「戸田?」海川警部は頭をかしげていた。 「先輩!戸田ですよ、戸田!!」 ふと、海川警部の記憶が蘇った。 「おー君かー!確か岡山県警捜査一課の刑事課長だったねー」 「いやー先輩、おかげさまで今年から警部ですよー」 「えーそうなの、それはオメデトウ。今度お祝いをしようじゃないか。君はかなりの酒好きだったなー」 「ハイ、お言葉に甘えさせて頂きます」 この岡山県警の戸田警部も国立京北大学出身のエリートで海川警部の三年後輩である。 「ところでどうしたの?事件って?」 海川警部は昔を懐かしく間もなく立場を遂行した。 「先輩、その事件ってヤツですが、京都出身の中川仁志って男の捜査依頼なんです。」 戸田警部も真剣な口調で言った。 「後で顔写真FAXします。分かっているのは京都出身、最近は名古屋あたりに潜伏しているとの情報もあるのですが。」 と今度は少し困ったような口調で言った。 「じゃあFAX頼むよ戸田君。」軽快な口調で受話器を置いた。 「警部!」 山村刑事が海川警部のデスクによってきた。山村刑事のアタマからは未だに湯気がたっている。 「いやー大学時代の後輩で岡山県警の捜査一課長・・いや戸田って警部からなんだけど、捜査依頼なんだ山さん。」 海川警部がいうと、ピーピーピーとFAXが送られてきた。 「警部!これです。」新任の女刑事島田が岡山県警から送られてきたFAXを海川警部のもとへ持ってきた。 「警部・・・コイツ日本人なんですかねぇ?」山村刑事が海川警部の見ている顔写真を覗き込んでいった。 そのFAXの顔写真には日本人らしからぬ、南国系の顔つきであったからだろう。 「えーそうですか?」と新任女刑事島田は言った。 「この中川仁志って男、色は黒くてホリの深い顔つきですが、目が純粋な優しい日本人の目だと思いますよ。」 と島田刑事は付け加えた。そう思ったのは目だけが正義感強くて優しい上司の海川警部に似ていたからである。 「僕もそう思うよ」海川警部は一言だけ言った。 「山さん、早速捜査に移って」と海川警部が指示すると、山村刑事は1つ年下の大門刑事と出て行った。 山村刑事も大門刑事も一流の捜査員であり、海川警部の頼もしい右腕である。 第3章 名古屋 ジリリリーン ジリリリーン! 海川警部のデスクの電話が鳴った。「ハイ、捜査一課」 「あー警部、山村です。」 「おー山さん。どう捜査状況は?」 「ハイ警部、一つ分かったことがあります。」山村刑事は得意げに言った。 「どうも去年あたりから名古屋にいるところを目撃されているんです。」 「じゃあ山さん、名古屋へ行こう。夕方5時に名古屋駅で会おう」 「ハイ警部、分かりました。」確認すると受話器を置いた。 朝10時過ぎの名古屋、今日も太陽がギンギンに大地を照らしている。 「ホンマ暑いナァー」ここは名古屋、しかしどこやらで関西弁をしゃべっている男が。 「おー10時やー、ちょっと一服しよぉー」 「ハイ、親方―」 「オイ、ちょっとジュースこうてきてくれへんかー?」関西弁である。 それを話すのは手配中の男、中川仁志である。この男大工の親方である。 「ホンマ毎日暑いのぉー、オイなんとかせんかい!!」無理難題を言う男である。が、根は優しいのである。 「さぁー、はよ仕事片付けて今日は京都へ帰るでぇー」中川は言う。 「でも親方、今日で完成しまへんでぇー」 「アホー!夕方に出てまた夜中に名古屋に戻ってくるんやー」と言う。 「えー、なんでそんなことするんでっかー」小方が聞く。 「アホー!練習に帰るんやー」 「えー、練習ってなんでっかー?、親方?」 「アホー!トロンボーンやんけーっ!!今日はのぞみで帰るんやー!」 この男中川、アフター5はトロンボーン奏者に変身するのである。 夕方4時50分、海川警部は名古屋駅のホームにいた。約束の10分前には来る男である。 名古屋駅のホームにのぞみが到着し、海川警部は山村刑事達を探した。夏休みもあり人でいっぱいである。 するとホームの向こうから走って来る2人の男が見えた。 「警部お待たせしました。」大門刑事が言う。 その横で山村刑事は対向のホームのある男に目が釘付けとなった。 「警部!事件!・・いや、手配人です!!」山村刑事は対向のホームで発見した手配人中川仁志を指差して叫んだ。 「よし、行こう!」 海川警部ら三人は足早に対向ホームへ、そこへ東京発博多行きの「のぞみ」が滑り込んできた。 「いかん山さん!早くしないとのぞみが発車してしまう。」海川警部が大きな声で叫んだ。 山村刑事も大門刑事も40を過ぎているせいか、息をきらしながら走っていた。 逆に海川警部は大学で陸上部のキャプテンでもあった事もあり、走るのは得意である。海川警部達が最後の難所、 ホームへの階段を上がりきろうとした時、中川は「のぞみ」に乗ろうとしている時だった。 その時、偶然にも中川の後ろにかつて海川警部の部下であった兵庫県警姫路署の女刑事 古川みかえがいるではないか。 「古川君ー!」海川警部は叫んだ。 「あー海川警部ー!」女刑事 古川はニコニコと手を振り返した。 「古川君!前の男を捕まえてくれーっ!」 女刑事 古川は何がなんだか分からないまま、その男に抱きついた。 中川もなにがなんだかわからなかったが、ただ単純に喜んでいた。 「中川仁志だね」 「ハイ!!」 「京都府警の海川です。同行願えますか?」 海川警部の横で山村刑事のアタマからは湯気がたっていた。 その夜京都府警へ連行し、取調べは翌日となった。途中中川はせっかくの練習日なのにトロンボーンが吹けないと 暴れに暴れ、捜査員を困らせた。 第4章 取調べ? 中川仁志 昭和40年9月5日生まれ 血液型A型 職業 大工 趣味 トロンボーン 以上の事実が判明している。 「先日岡山県警の戸田って警部からの依頼でね。トロンボーンについて熱く語って欲しいとの事なんだが・・。」 と海川がおだやかに話す。が、昨日トロンボーンが吹けなかったせいか黙秘したまま。 「山さん、姫路署の古川刑事を呼んでくれないか?」名古屋駅のホームで中川に抱きついた女刑事古川の事である。 昼過ぎになってようやく古川刑事は京都府警へ到着した。 「警部!!おひさしぶりです。」 「いやー古川君、すまないねー。」と海川警部は頭を下げた。 「中川さ〜ん、話してくださいよぉ〜」 古川刑事はニコニコしながら言った。古川刑事はいつもニコニコして、つまらない事でもすぐ笑ってしまう ちょっと変わった女刑事である。横にいた海川警部が 「君は何故トロンボーンを吹いているのかね?それから話してもうらおうか」と言う。 「そうですね!!」ニコニコしながら古川刑事も言った。 中川はしばらく考えていたが、古川刑事の笑顔に押され、間もなく話し始めた。 「トロンボーンに出会ったのは高校2年の初夏でした。」 「初夏っていうと6月頃かね?」海川警部が確認した。 「はい、日直の用事があると吹奏楽部の友人に頼まれて、吹奏楽部の顧問兼指揮者でもある担任の先生のいる部室へ 連れていかれました。そして気がつけばクラリネットを手にしていたんです。その時に図られたことに気づきました。 けど、それほど嫌でもなかったのか、その日の放課後はマウスピースだけで"ぴーぷーぅ!"ってやってました。 だけど本体をつけると音が鳴らないんです。だからまたマウスピースだけで"ぴーぷーぅ"。それだけでその日は終わって しまいました。」 そして翌日、中川が目にしたもの・・ 「次の日も部室へ行きました。先日入部した別の友人が左手で楽器を支えて右手であるものを伸び縮みさせていました。 それと口元には前日"ぴーぷーぅ!"ってしていたものとは違う銀色ものが付いていました。」 「それがトロンボーンだったんだね。」海川警部が言った。 「ハイ。その友人にそれ貸してって言いました。」 「それで?」と海川警部 「その銀色に"ブ〜ゥ"ってしたんです。一発で鳴ったんです。オレこれにするって言いました。それが始まりです。」 中川の表情がおだやかになってきた。その頃の中川には音楽なんぞ興味は無かったのである。ところがそのトロンボーン と出会い、その秋に京都会館で『新世界』を演奏し、その後「吹奏楽」ではなく、「管弦楽」にハマってしまったのである。 いわゆるオーケストラである。 「トロンボーンパートには先輩がおらず、教則本頼りに勉強しました。冬が過ぎるころにバンドジャーナルの広告で見た 大阪ユースオーケストラの団員募集を見て入団テストまで受けました。不合格でしたが。」中川は残念がっていった。 トロンボーンを手にして八ヶ月目の事であった。が、中川はそれまでに増して音楽を聞いた。ベートーヴェンばかり聞いた のである。 吹奏楽トロンボーン吹きとして少し違う方向へ進んでしまった中川、ベートーヴェンを演奏したいと思ってしまった。 けれども、吹奏楽では演奏できるはずもなく、一番ショックだったのは9つの交響曲のうち、たった3曲しかトロンボーン は登場しないのである。 交響曲第5番「運命」は第4楽章のみ 交響曲第6番「田園」は第4・5楽章のみ 交響曲第9番「合唱」は第2・4楽章のみ。4楽章は有名な「歓喜の歌」のメロディが終わるまで休み。出てくるのはその後。 それもハイトーンばかりで、見た事もないハ音記号で書かれたアルト譜やテナー譜であった。 そして、トロンボーンでベートーヴェン全交響曲を演奏できないと知るや、弦楽器に手を出してしまった。それも同じヘ音 で書かれているというだけで決めたチェロへ。決意も新たにオーケストラでベートーヴェンを演奏しようと・・。 第5章 取調べ? 「それでトロンボーンはどうしたんだね?」海川警部が聞いた。 「芸大生にチェロを教えてもらいながら高校の吹奏楽部でトロンボーンを吹いていました。」 そして大学に合格、中川は大学オーケストラに入団し、これからはチェロ三昧してやろうと意気揚々としていた。 ところが、合格した大学にはオーケストラが無かったのである。 「で、どうしたんだね?」と海川警部。 「ハイ、大学から帰宅したら毎日1人でギコギコしてました。」 だが、2回生になって大学のブラスバンドで毎日楽しんでいる友人うらやましくなり、結局新入生歓迎コンサートで トロンボーンを吹くことになった。 「それからグレン・ミラーやベニーグッドマンの音楽にはまってしまいました。」 その後の3年間はビッグバンドでトロンボーンを吹いていた。 大学を卒業した中川は父親の会社へ勤務、そして先輩の誘いでとある市民オーケストラに入団も仕事の忙しさで退団。 「高校吹奏楽部のOBバンドでしばらく吹いていました。でもだんだんつまらなくなってしまったんです。」 「ある時、その先輩にトロンボーンの調子は?って聞かれたんです。その時、トロンボーンをもう吹くのを辞めよう かと思っています。って答えました。」すると、 「今度新世界やるから、2番トロンボーン空席になったし、また来ないか?って」 結局市民オーケストラに再入団して、それから毎日仕事から帰るや2時間も3時間も練習する別人に生まれ変わって しまったのだった。 「ところが、オーケストラの中のトロンボーンってのは、ほんとに暇なんです。練習日に朝から必死で仕事して、 時には昼メシも食わずに早く終わらせて、そして夕食は練習行くまでの車の中でオニギリを食べ、練習場に着けば ウォームアップもほどほどに7時から練習が始まります。」 指揮者から「第1楽章から・・」しばらくすると「休憩します。」との声 「その間トロンボーンに出番は無く、1音も吹かずに前半終了なんです。」中川は目に涙を浮かべながら言った。 (指揮者)「3楽章・・」 (トロンボーン)「・・・・・・・・・・・」 そして切れ目なく4楽章突入。 「9時までの練習なのにもう8時半なんです・・・・。」中川はとうとう泣き出してしまった。 さあ緊張の中、美しいコラール。1発目の音がハイBのイッコ下のAの音。う〜高い。う〜鳴らない。 ウォームアップしてから2時間弱経過後である。管も冷え冷え、鳴るものもならず、練習終了。 ブラームスの交響曲第1番の練習風景である。 「オーケストラではトロンボーンは暇なんです。が、ここ一番で鳴らすトロンボーンはオーケストラの中で 一番男らしくて、一番目立って、一番カッコイイ楽器なんです。」 「暇なトロンボーン、曲にもよるが約10分吹いて終わり。その上仕事も忙しく、1週間の練習時間は10分だけ・・ もっと吹きた〜い!!」 「でも仕方ないんじゃないかね」海川警部が言う。 「いや、名案が浮かんだんです。久しぶりに吹奏楽にしようと思ったんです。」 結局この男、ジャンルを問わずトロンボーンが好きなのだ。 「十字屋の掲示板で吹奏楽団「せせらぎ」のポスターを発見しました。ひとまず見学へ行きました。スタジオへ行くと 大下さんがトロンボーンを吹いていました。指揮者の木村さんの指導も良くてコンクールにも出場していない。 これまた良しと思いました。」 中川はコンクールがキライなのである。素人の音楽に金銀銅の位を付ける事態間違っていると考えている。 「早く楽しい楽器が吹きたい一心で朝から必死で仕事して、何故厳しくも楽しくないコンクールの練習をするのか? そんなヤツはプロになればいい!!!」 「おいおい、熱くなるな」海川警部は諭した。 「楽団の良さって、演奏会にどれだけのお客さんの数と、どれだけのお客さんに感動してもらえるかだよ。そして、 それに演奏者も楽しんで、お客さんがまたこの演奏会に来たいって思ってもらえる。これが僕らが目指す音楽だよ!!」 「おいおい、後で話し聞いてやるから・・」 即断でせせらぎに入団。 「オーケストラは好きだけど、吹奏楽も良いなぁ。大学のビッグバンドも思い出した。ノリの良いジャズやポップス、 またまたムード音楽、昔懐かしいヤマトにウルトラマン。それに7時〜9時まで吹きまくり!! 音楽は楽しんでこそなんだよ刑事さん!!」 第6章エピローグ 海川警部は中川の取調べを思い出していた。 捜査一課のクーラーが修理のため取り外されていた。 ジリリリーン!シリリリーン! 暑苦しく、ハンカチで汗を拭っているとき山村刑事のデスクの電話が鳴った。 「ハイ!捜査一課・・・・・」 「警部!!事件です!!笠原啓子という女性の捜査依頼です!!」 山村刑事のアタマからは湯気がたっていた。 (完) 編集者お詫び この度は私が振ったばかりにでこんなことになってしまい申し訳ありません・・。まさか原稿用紙21枚、 文字数にして6500文字を超える団員の声を書くとは思ってもみませんでした。せせらぎ1の問題児を侮っていました。 しかもなぜか刑事モノ創作小説に・・。一応振った手前、HP管理人へこんなモノをそのまま渡すわけにもいかず、 打ち込みからhtml化まで責任を持ってやらせて頂きましたが、「せせらぎのHPにこんな品位の無くすモノを!! 団員の声は自己満足小説の発表の場ではない!!」とお怒りの役員・団員の方々もおられるかもしれません。 そんな時はパートリーダーであり保護者でもある私めに遠慮なく申し上げて下さい。責任を持って対処させていただきます。 せせらぎに御入団をお考えの方々、この人は特別です。こんな人ばかりではありませんので、変な集団と思わず 一度見学にいらしてくださいませ。 次回の団員の声は「かさはらけいこ」さんよろしくお願いします。
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