年月

Vol.101 2014.10.17(金)の合奏風景2014年10月24日

おかえり、次の人語書こうか?で迎えていただきました(笑)今回のせせらぎ人語はトロンボーンの阿武がお届けします。
私事でしばらく休団しており、この日は久しぶりのせせらぎAND楽器演奏となりました。
懐かしい面々に心がほっこりしたのはここだけの秘密でお願いします。

言うまでもないかと思いますが、気合が入りすぎて以前の如くハイパー早入りしてしまう始末。

思えば今年もあっという間にせせコンが終わり、なんとなく夏も盛りを過ぎて気づけば秋でした。そして、あれよあれよと言う間に来年度のせせコンの曲も決まっていたようです。
今日が初練習となった、A HUNTINGDON CELEBRATION はその内の一曲。
軽やかな出だしに始まり、終始キラキラです。吹奏楽ぽい曲だなぁ〜というのが私的な第一印象でした。
それほど譜読みが難しい曲ではありませんでしたが、しっかりと作り上げることが出来れば、誰が聞いてもカッコいいと思える曲になるに違いありません!

頑張るぞー

Vol.100 せせらぎ人語100回記念 これまでの記事を振り返って2014年10月17日

せせらぎ人語もおめでたいことに第100回を迎えました。これもひとえにお忙しい中原稿執筆を引き受けてくださる団員の皆さんのおかげです。折角ですのでこれまでの記事を振り返ってみたいと思います。

第1回は2011年10月21日、ちょうど3年前に「せせらぎ人語」はスタートしました。コンセプトとして「せせらぎ団員が練習内容について、プレイヤー目線でいろいろつぶやき、その合奏風景をご覧いただくコーナー」とありますが、3年の月日を経てそのコンセプトは時折執筆者によって若干のブレを伴いながらもある程度維持されています。時にはブレも大事です。執筆者はAlto Clarinet Kとあります。当時の団長です。そして私の嫁さんであります。

第5回、2011年12月7日、JR寝台特急「日本海」廃止のニュース、5回目にして早速練習内容以外の記事が登場しています。執筆者は当時からずっと役員のUさん、役員がブレの大事さについて自ら範を示したわけです。「形ある物は、老朽化してなくなっても、心の中の思い出は、いつまでも残ります。」いい言葉ですね。

第12回、2012年2月7日、フルートのMさんの投稿。「子供に『今日は鬼は外の日やから母ちゃんは練習にいくんやな?』と言われつつ練習に行きました。」(練習日が節分でした)子供は真実を映し出す鏡。(ごめんなさい)

(このあたりまでは当時の役員の皆さんが原稿を執筆しています。せせらぎ人語を軌道に乗せるための涙ぐましい努力が垣間見えます。皆さん原稿執筆引き受けてくださいね!)

第18回、2012年4月26日、ユーフォニアムのMさんの記事。宇宙戦艦ヤマトの「大いなる愛」について。「おじさんがいやらしく奏でれば、女性のハートをつかむことができるところなのですが、」・・・そ、そうでしょうか?!

第24回2012年6月22日、トロンボーンTさん、A Song for JAPANについて。微力ではありながらせせらぎの演奏を世界中に発信することで、少しは東日本の皆さんのお力になることができたでしょうか。せせらぎオリジナルアレンジによる演奏でした。

第29回は2012年7月23日、トロンボーンのNさん、「ジリリリ~~~ン。ジリリリ~~~ン。」急に始まる短編小説、よく書いてらっしゃいましたよね。せせらぎ人語ではNさん作・「楽器を置いてしまった貴方へのメッセージ」「ハイ!こちら せせらぎ音楽事務所です!!!」「鉄道の日に寄せる短編小説《時代》」を公開中ですので、皆さん是非ご覧ください。せせらぎには音楽以外の才能を持つ方もたくさんいます!

第36回2012年9月29日、トランペットKさんの投稿。楽譜を忘れてごまかして演奏した件について。「仕方がない。適当にやってみよう。」とおっしゃるように、時々楽譜と異なり3度上とか3度下の音を出してらっしゃるときは比較的騙されやすいので、注意する必要があります。

中締めの第50回はトランペットのYさん、2013年1月17日、ジャズに関する話。「後ノリ」が難しいのは当時も今も変わらずですね、でも普段聴き慣れているJ-POPや歌謡曲にも「後ノリ」はたくさんあるのに演奏になるとなかなかのれないのは、やっぱり「日本人として、祭のお囃子や音頭がDNAに染みこんでいる」のかもしれませんね。

・・・100回となると、ホントに皆さんバラエティに富んだ面白い記事をたくさん書いていただいています。とても1回では振り返りきれなかったので、51回以降はまた別の機会に振り返ってみたいと思います。

大袈裟かもしれませんが、一つ一つの記事がせせらぎの歴史になっているなあと思います。こちらからお声掛けしなくても、皆さん積極的に原稿執筆をお願いします!

ちゅーば こんどう

Vol.99 ただいま奮闘努力中2014年10月3日

初めて楽器に触ったのは、もうかれこれ30年以上たつだろうか。

それは中学一年生の時、それまでアニメや特撮ものは好きでも、音楽には全く興味がなかった私。これから送る中学生活で、楽しみの一つである部活を何にするか、79年日本シリーズ第7戦を江夏が抑え初の日本一となった広島カープに興奮し、始めた少年野球、中学もそのまま野球部に入ろうか、それとも当時背の低かった私は、バスケ部入ったら身長伸びるでと姉に勧められ、さてさてどちらにしようか、などと迷っていた。(当時、私の身長は135センチ。その後、中3まで15センチしか伸びなかったのである。おかげで中3の一学期には最前列を競いあう事になるのだ)
そんな時、文化 系クラブ のオリエンテーションがあるというので講堂へ。はじまったのは、ブラスバンドの演奏だった。何曲か演奏されたかもしれないが、なんとも衝撃的だった曲が、その後の吹奏楽人生に大きく関わる宇宙戦艦ヤマトである。あまりのカッコ良さに、一気に吹奏楽への興味が湧き、即見学にいった。初めて近くで見る楽器、渡されたマウスピース。こんな風に吹くのと教えてくれた優しそうな2年上の素敵な女性の先輩。(何故優しく素敵に思えたのか、まだ幼かった私は心で人を見れたのだろう)
おだてられ、そして迷いながらも惹かれるように、めでたく入部。
しかし入部してからは一転、優しかった先輩方も時折蹴りが飛んでくるほど豹変。(私はその点要領がいいのか、蹴りを食らうことはなかった)
当然楽器 を触らせてもらえるはずもなく、ひたすら毎日毎日マウスピース練習に明け暮れた。(当時の校舎は東西にクランク状の形で、トランペットの練習場所は クランクの曲がり角の北東角。次の曲がり角の南西角はホルンの練習場所で、そこには黙々と練習する少年がいた。後のせせらぎ指揮者K村くんである。髪型は あまり変わっていない。といっても入学当時は長めの髪だった。3年には坊主になっていたと思う。間違っていたらごめんなさい。でも当時と色と量が違うのは間違いない)
しかし当時は飽きもせずよくマッピ練習してたものだ。それでもマッピで音階が吹けるようになると、どうしてもやりたくなるメロディー。宇宙戦艦ヤマトである。そして日々の精進が認められ、ようやく楽器をつけさせてもらえるようになると、更に吹きたくなるそのフレーズ。当然初心者の私にはチューニングべーすら難しい。それでもそのフレーズが吹きたいがために練習した。家に帰ってからもご近所迷惑にならないよう、枕にベルを当て吹いていた。。。。

そんな日々から3?年がたち、その間吹奏楽がつまらなくなって遠ざ かる頃もありましたが、今は貴重な時間になっています。 長く吹けるよう、歯は大切にしないとな、なんて思ってる矢先、実は、知らない人もいるかもしれませんが、昨年末、奏者としては絶対やってはならない事をやらかしてしまいました。帰宅途中にバイクで転倒、顔面を強打し、前歯2本を折るという事故をおこしてしまい、幸い前歯は脱臼という診断で、もとの位置に戻 して固定するという処置でした。3ヶ月間固定して、その間も練習には参加させてもらって最初は器用に調整すればすぐ元のように吹けるだろうと安易に考えたけれど、どっこいそう簡単ではありませんでした。正直もう無理かなと思った時もありましたが、今は少しずつ吹ける音域も広くなってきたし、まだ音の当たりはよくないけど、徐々にならせるようになってきました。世の中同じような人は少なくなく、プロの中にも復活を遂げた人もいるそうです。今は色々試しながら探ってるというところでしょうか。そういう試行錯誤をしていると中学時代を思い出します。あのフレーズが吹きたくて色々試してたり。今年のせせコンは 3rd中心で出演させてもらいました。これもまた中1の頃のような気分で、その頃の事を思いだし、冒頭は思い出話させて頂きました。
さて、音域は広がってきたので、次の課題は音の出だし。音色といってもいいでしょう。これをクリアしないと邪魔な音になりますよね。これは少々時間かかるかも知れませんが、温かく見守って頂ければ幸いです。長くなりましたが、ではまた合奏で。

トランペット かめぼし