音楽表現を言葉で伝えるのは難しい2015年3月23日

『ペルセウス』という楽曲を合わせていると、「アクセント・テヌート」という記号が付加された音符がよく出てきます。

「アクセント・テヌート」っていうのは別に珍しい記号ではありません。
ただ、『ペルセウス』をやるときには、より「テヌート」成分の強い表現がいいかな、と感じています。

「テヌート」とは、「音価(音の長さ)を保持する」という風に習ってきました。
私が習ったピアノの先生は、それだけではなく、「はっきり発音する」という解釈もあるんだよと教えてくれました。
となると、「アクセント」や「マルカート」に近いかも知れませんが、そこまでキツイ発音でもないような感もあります。

記号一つとってみても人によって演奏法は様々です。
音楽の面白さの一つといっていいでしょう。

さて、『ペルセウス』の「アクセント・テヌート」に話を戻します。

この曲で出てくる「アクセント・テヌート」全てという訳ではないのですが、要所要所では、“ かまぼこ板のような ” テヌートをお願いしています。
1拍分のテヌートなら、ホントにギリギリいっぱい、次の拍の直前までビターッと音価が保たれるイメージです。

で、ふと思ったんです。
「 “ かまぼこ板スタイル ” のテヌートって、今の人にイメージとして伝わるのかな?」と。

私が中学に入って吹奏楽を始めた頃、先生にしても先輩にしてもこういう表現でテヌートのイメージを伝えてくれました。
そして私が上級生になったら、後輩にやっぱり “ かまぼこ板 ” という言葉を使いました。
誰もがイメージできるものだったからです。

今の若い人にも、蒲鉾が、かまぼこ板にのって売られているというイメージが伝わるのでしょうか。
私自身が蒲鉾を買わないので何とも言えませんが、もしも蒲鉾の売り方が変わっていたら、もやは死語ってことにもなりかねない。

納豆というと、私のイメージでは藁に包まれて売っているというイメージしかなかったんです。
が、今やプラのパックで売っているのしか見ません。
それを知ったのはホンのちょっと前…
そんなこんなで蒲鉾も気になったのです。

「置き換えて」表現するのって、とても難しいです。
音楽に限らず「表現する」活動をしているならば、街歩きやスーパーマーケットにも観察すべきものがゴロゴロしているのですな。