またもや大河ドラマをきっかけに思い起こしたこと、諸々…2013年9月15日

『八重の桜』に「女紅場(にょこうば)」というのが登場します。
京都に出てきた八重さんが、
兄・山本覚馬の勧めで先生を勤めるのが「女紅場」。
明治初期の女子教育の場だったそうです。

女紅場の石碑

その跡地を示す石碑が、
鴨川に架かる丸太町橋西詰にあります。
番組の最後で紹介されたので知りました。

思えば、寺町丸太町上るの新島襄旧邸(新島会館)からすぐです。

※※※

前にも書きましたが、
私の大学生活は本当にチャランポランでした。
『八重の桜』を観ていて、
自分が同志社大学を卒業していることに誇りを持てるようになりましたが、
それは創設された方々のおかげであって、
私が凄い訳ではありません。

『八重の桜』が引き金になったのか、
最近、大学時代の夢をよく見ます。
頑張っても頑張っても卒業できないという夢です。

大学1・2年生の頃、
アルバイト等に明け暮れ、
3年生の頭には留年が決まっていました。

それから必死で単位を取るべく、
ちゃんと授業に出るように努力しました。

最後の5年生になってもまだ一般教養の単位が足りず、
全くもって私には向いていない「物質の科学(物理学)」を選択しました。
時間割の都合上、嫌でも選ばざるを得なかったのです。

しかし、何と学年末の試験で「100点」をいただいたのです!

※※※

「物質の科学」を担当してくださったのはG藤先生。
小柄で、髪の薄いおじいちゃんといった風情ですが、
その容貌ともあいまって、
G藤先生はとても面白く、愛嬌のある方でした。

「質量があるもの同士が引き寄せあうというなら、
前から歩いてくる可愛いあの娘とキッスできて嬉しいですが、
近づいてくるダンプカーとキッスしたらペシャンコです」

とか、

「今日は量子力学(りょうしりきがく)のお話です。
そういえば、最近は量子(りょうこ)という名前もあるみたいで。
僕は好きですけど…」
(註:当時のアイドル佐野量子さんのこと。
 のちにジョッキーの武豊さんと結婚)

とか、

(文字にするとちとヤバイなとは思いましたが)
実に人間味あふれる教え方をされる先生で、
難しいはずの物理学にどんどん引き込まれていきました。

前期末試験はなく、
後期末試験一発で年間成績が決まる科目でした。

3年生以上の、つまり私と似たような、
追い込まれて仕方なく「物質の科学」を選ばざるを得なかったクラスですので、
G藤先生は試験設問を予め発表してくれました。
4問を発表、そのうちの3問が試験に出ます。

1年間のノートをひっくり返し、
必死になって4つの解答論文を作りました。
それを必死のパッチで覚えました。
一体、何回ぐらい書いてみたことでしょう。

そして試験結果は前述の通り「100点」だったのです。
苦労して苦労して卒業にこぎつけた大学生活の最後に頂いたご褒美だったのかな。
(そもそも最初のほうで遊び過ぎ…)

今思えば、
このときの暗記の努力が、
今でもスコアを暗譜するのに役立っているのかもしれません。
G藤先生、ありがとうございました。