薩摩、会津、同志社2013年9月11日
最近のテレビドラマでは、
『半沢直樹』が大人気のようですな。
ハードディスクレコーダーに録っておいて、
都合のいい時間に視聴するというのが主流となりつつある今の時代に、
視聴率30%超えを連発するというオバケぶり。
仕事柄、この『半沢直樹』を見なければなりません。
「ええなぁ~、仕事でドラマ観れて~」と思われるかもしれませんが、
さにあらず。
仕事で観なきゃならないというのは、
結構しんどいもんです。
なんといっても内容が重い。
半沢くんのように仕事で追い込まれたら、
私なら「辞めたらぁ~」と喚きながら、逃げるでしょうな。
例えば、SFなどで、
主人公が追い詰められるという設定ならば、
割と冷静に観ていられるのですが、
『半沢直樹』はサラリーマンなだけに、
他人事と思えなくなってくるのです。
ついつい「自分だったら…」と思ってしまい、
気持ちがどんどん沈んでいってしまいます。
(それに引き換え、
1クール前の『空飛ぶ広報室』は楽しんで観られたな。
仕事で観てるのに、しょっちゅうハンカチを目に当ててました…)
やっぱり私にとってはNHKの大河ドラマがいい。
去年の『平清盛』同様、
視聴率的には苦戦しているそうですが、
『八重の桜』が心に響きます。
※※※
幕末、薩摩と相争った会津。
その薩摩藩の京都藩邸のあった土地を、
会津出身の山本覚馬が譲り受けます。
学校を開設したいと願う新島襄に、
その土地が贈られます。
新島襄と、山本覚馬の妹・八重が結婚します。
1875年(明治8年)11月29日、
多くの反対がありつつも同志社英学校開校。
「同志社」の名は山本覚馬が名付けたそうです。
※※※
出身大学であるというのに、
同志社大学今出川キャンパスの入口の前に、
薩摩藩邸跡の碑があるのに全く気付いていませんでした。
また、大学の近所に戊辰戦争で亡くなった薩摩藩士を祭る墓があるのですが、
藩邸の近くだったからですね。
今やっと分かりました。
いつも歩いている寺町通り(丸太町上る)に「新島会館」があります。
もちろん同志社関連の施設で、
新島襄と八重が住んだ旧邸もあるのですが、
ここが同志社英学校最初の校地とは知りませんでした。
ちゃらんぽらんな大学生活を送った私ですが、
我が母校にこんな歴史があったのだと思うと、
心が熱くなります。
もっとちゃんとした大学生活を送るべきだった。
今になって反省しきりです。
特に会津の方々に、
大きな恩義を感じずにはいられません。