2024年02月
人語にも書かれているように、
団内発表会が開催されました。
フル規格は4年ぶり。
実に長かった。
まずは開催に尽力してくれた実行委員の皆さん、
ありがとうございました。
実行委員に力を添えてくださった方々もありがとうございました。
そして出演者の皆さん、
お疲れ様でした。
開催されてホント良かったです。
にもかかわらずスタート時刻を30分間違って遅刻したうえ、
いわゆるケツカッチンで早めに退出せねばならず、
心苦しい限りです。
ということで全ての演奏を聴くことはできませんでしたが、
いろんな取り組みがあって良かったです。
そんな中、
指揮者の立場として特に印象に残ったのは、
フルート五重奏と、
スネアドラム三重奏でした。
おそらく譜面の見た目はそんなに難しくないと思われる楽曲に取り組んでおられました。
実はそういうのは粗が目立ってしまうものです。
果敢な挑戦だなぁ~と思いました。
2月23日(金)は、
ピッコロ × 1(フルート持替)
フルート × 2
バスーン × 1
E♭クラリネット × 1
B♭クラリネット × 5
アルト・クラリネット × 1(B♭クラリネット持替)
バス・クラリネット × 1
アルト・サックス × 2
バリトン・サックス × 1
トランペット × 6
ホルン × 2
トロンボーン × 6
ユーフォニアム × 3(ピアノ、パーカッション持替)
テューバ × 1
パーカッション × 4
そして私の計38人で合奏しました。
3月最終週の日曜日から日曜練習がスタートします。
その日曜練習に向けて全曲振り返りを始めました。
発表されているプログラム順で練習開始です。
基本に立ち返り、
縦の線をキチンと合わすべく、
かなりメトロノームのお世話になっています。
昨日までに役員同士で連絡を取り合っていると、
役員とその家族で計2人のコロナ感染が分かりました。
家族と言ってもお家で待っていた人ではなく、楽員の一人。
たった一週間で、
楽団内の、さらに限られた人数の役員周りから3人(私を含めて)
その3人ともが2月9日の練習に参加していました。
これは異常だと言わざるを得ません。
2月16日の練習は中止にすると、
団長が英断を下してくださいました。
もしかすると、何もそこまでする必要はないかもしれません。
登頂目前であっても異変があれば断念する勇気。
海辺で地震に遭遇すれば迷わず高台に逃げる決断。
今回の措置はそれらに類するものだと思います。
2011年3月12日開催予定だったミニ・コンサートの当日キャンセル以来のスクランブルだと思います。
楽員の皆さん、よろしくお願いいたします。
喉に違和感があるけれども、
普通の暮らしをしていれば自然治癒するだろうと高を括っていたある夜。
激しい悪寒で目が覚め、
ブルブル震えながら寝たり起きたりを繰り返して朝を迎えました。
体温を計ったら39.1℃。
市販のコロナ検査キットでは陰性判定。
この時点でインフルエンザだと思い込みました。
翌日、近所の町医者で診察を受けました。
例の、鼻に綿棒を突っ込んで検体をしっかり取って調べるアレですが、
ほんの数秒でコロナ陽性・インフルエンザ陰性の判定。
市販キットはその程度のものなのか、
検査するのが早すぎたのか分かりません。
とにかくクリニックの検査でバッチリ結果が出ました。
頓服薬が出ただけで注射も処方薬もなし。
インフルエンザと違い、
これがコロナの現状なんだなと思いました。
これで公式に人生初コロナとなった訳ですが、
私的には初めてではないと思っています。
2019年の11月と12月の2度にわたって40℃前後発熱しました。
12月は医院でインフルエンザA型感染を確認しています。
が、11月は医者に行かず、自然治癒に任せました。
これが実はコロナだったのではないかと疑っています。
あくまで個人的見解です。
夜中に発症すると限ったものではないと思いますが、
2019年11月と今回と、発熱の過程がそっくり。
2019年も寝ている最中でした。
大変だったのは旅先での発熱だったことです。
今回のことに話を戻しますと、
まず、味覚はなくなりませんでした。
お腹が減るので3食キチンと食べました。
ただし体を動かしていないので食事量は減りました。
気管支に痰が溜まっているのが自覚できるのに、
なぜか殆ど咳が出ません。
痰切できなくて困りました。
体中が痛くなりました。
特に腰はギックリ腰並みの痛みで、
当初はテレワークする(自宅で座ってパソコンに向かう)のも辛い状況でした。
一旦平熱に下がったあと、
また38.1℃まで上がり、
それからゆるゆると平熱に戻っていきました。
計2日半くらいかかったでしょうか。
何もする気が起きないのでひたすら布団にもぐっていましたが、
驚くほど眠りました。
さすがにもう眠れないだろうと思っても、
目を瞑ると寝落ちする感じ。
病気の時は時間がなかなか進まないと言われますが、
今回の私の場合はあっという間に時が経つ感覚でした。
ざっとこんな感じ。
個人差があるでしょうから参考にはならないと思いますが、
感染記ということで書いてみました。
2月17日(土)までドクターストップがかかりましたので、
2月16日(金)はお休みします。
副指揮者のKさんに練習を見てくれるようお願いしてあります。
訃報2024年2月10日
2月9日(金)は、
ピッコロ × 1
フルート × 2
E♭クラリネット × 1
B♭クラリネット × 6
アルト・クラリネット × 1
バス・クラリネット × 1
アルト・サックス × 2
バリトン・サックス × 1
トランペット × 3(フリューゲル・ホルン持替)
ホルン × 4
トロンボーン × 5
ユーフォニアム × 1(パーカッション持替)
ストリング・ベース × 1
パーカッション × 4
そして私の計34人で合奏しました。
帰り道、
カーステレオでNHK-FMの『ベスト・オブ・クラシック』を聴いていたら、
小澤征爾さんの訃報が流れました。
数年前、
テレビでお姿を拝見した際、
あまり長くはないのでは、
と危惧しました。
ご冥福をお祈り申し上げます。
自室には『ボクの音楽武者修行』文庫本の58頁をコピーして貼りだしています。
指揮をするうえで一番大切なのは、
体作りであることが書かれた箇所です。
毎日目にすることで自戒としています。
鎌倉2024年2月4日
昨日の『ブラタモリ』の舞台は鎌倉でした。
それがきっかけだった訳ではないんですが、
このところ鎌倉に所縁のある物事との出会いが多くありました。
※※※
まず、映画『海街diary』のサウンドトラックを聴いたこと。
この映画の舞台は鎌倉です。
敢えてこのCDを引っ張り出してきた訳ではありません。
ラックに並んでいるCDを順番に聴いていて、
たまたま邦画サントラのコーナーに差し掛かっていたのでした。
作曲は菅野よう子さん。
せせらぎに馴染みのあるところでは、
『花は咲く』を作曲しておられます。
大体どのCDも一回聴いたら次のを掛けるのですが、
『海街diary』はリピートしました。
テレワークしながらBGM的に聴く筈が、
殆どの神経が耳にいってました。
※※※
次に、映画『カラフルな魔女』を観たこと。
角野栄子さんのドキュメンタリーで、
お住まいが鎌倉。
せせらぎにとって馴染みのあるところでは、
『魔女の宅急便』の原作者です。
角野栄子さんの佇まい・容姿・しゃべり方・考え方など、
酒房たなかやのマダム・田中静江さんとそっくり。
たなかやは私が最も馴染んだお店の一つ。
最盛期には週に8回?通っていました。
店じまいしてから数年。
どうしておられることでしょう。
昨年のせせらぎコンサートにお誘いしたのですが、
お会いできずでした。
※※※
何か行動を起こした訳ではないのですが、
心に浮かんだことが一つ。
アニメ『ふたつのスピカ』を観た思い出です。
主人公・鴨川アスミの出身地が鎌倉です。
あんなに激しく心を揺さぶった作品は他になかったと思います。
2月2日(金)は、
ピッコロ × 1
フルート × 3
E♭クラリネット × 1
B♭クラリネット × 4
バス・クラリネット × 1
アルト・サックス × 1
トランペット × 4(フリューゲルホルン持替)
ホルン × 3
トロンボーン × 2
ユーフォニアム × 3(パーカッション持替)
ストリング・ベース × 1
パーカッション × 1
そして私の計26人で合奏を行いました。
見学の方も含みます。
せせらぎコンサートに向けての練習再開。
未だ採り上げていなかった
『Fly Me to the Moon』と
『We Are Confidence Man』を練習しました。
どちらも有名な楽曲。
演奏を仕上げていくのはまだまだこれからですが、
初合奏としては良かったと思います。
やはり聞いたことがある曲は取っ掛かりがいいものです。
と書きましたが、
実は私、
『We Are Confidence Man』は全く知りませんでした。
民放のテレビドラマのテーマ音楽とのこと。
全く観たことがありません。
映画館で予告篇を観たことはあるので、
映画化されたのは知っています。
が、本編はやはり観たことがありません。
私としては珍しくYouTubeのお世話になってから、
合奏に臨みました。
ノリのいい曲です。
昨年リバイバルで観た『探偵濱マイクシリーズ』を思い浮かべました。