団員の声
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※文章中に出ている役職名・パート名はその文章の公開時のもので、現在と異なる場合がありますのであらかじめご了承願います。


No_41(2006/09/01公開)
「無題」
なかざわ えり(Flute)


“フルートパートのプリンス”「まつもときよふみ」さんからご紹介頂きました「なかざわえり」です。

まつもとさんには「可憐な大学生」なんて書かせてしまいましたが、
とんでもございません。
私は休みの日にはパジャマのままでワイドショーを観て、
朝から晩までお菓子をむさぼり食うような女でございます。
そして松本さんとは言いますと、自称「おっさん」ですが、
私にはどんなに速くて難しい連符をも吹きこなす“フルートの魔術師”にしか見えません。
そして、とても優しく頼りになる私のお兄様的存在です。

私が吹奏楽を始めたのは
「運動音痴だから運動部には入れない」
「姉がフルートをやっていたから自分もやってみたい」
という2つの理由からです。

初めてフルートを持ったのは中学1年生のときでしたが、
本当に楽しく、いつの間にか私の生活の一部になっていました。
そして、高校に上がるときに調子に乗って自分のフルートを買ってしまいました(^^)v
吹奏楽団に入りたいと思ったのは、高校2年生のときでした。
フルートが私1人になってしまい、
「このままでは益々下手になりそう」
「もっと違う環境でやってみたい」
「大人のフルート奏者の方の演奏を聴いてみたい」
・・と、思ったからです。

せせらぎに見学に行きたいと思った理由は、
実は「練習が金曜日」というのが魅力的だったからです。
次の日休めるしな〜、という軽い気持ちで見に行ったのですが
演奏を聴くと度肝を抜かれました!!
他の楽団にも見学には行っていたのですが、
音量と迫力が他とは比べものにならないくらい凄くて、
雰囲気もとても良かったからです。

また、入団前に「駅ビルコンサート」があったので聴きに行ったのですが、
とても楽しそうに演奏する団員のみなさん、
これまた楽しそうに譜面なしで指揮を振る指揮者の木村さん。
私は、「この中に混ざりたいなぁ」と純粋にそう思いました。
そして、フルートは人数が足りていたにも関わらず、無理矢理入れてもらいました。
フルートパートのみなさんにはご迷惑を掛けてしまったのですが、
一向に上手くならないので、今現在もご迷惑をおかけしておりますm(__)m
早く貢献できるように頑張ろうと思います!

みなさんも是非せせらぎに見学に来てください。
「フルートの魔術師」に会えますよ(^^)v

それでは、次は高校時代の青春を共にした私のお友達、島田佳奈ちゃんにお願いしたいと思います。
なかなか凄い音楽人生を送っておりますので、みなさんお楽しみに☆


No_42(2006/10/01公開)
「無題」
しまだ かな(Trombone)

えりちゃんからなかなか凄い音楽人生を送ってると紹介された「しまだかな」です☆

まず、私が音楽に出会ったのは3歳のころ。
幼稚園の年少になるのではなくって、カ○イ音楽教室に行くことにしました。
そこで、私はこの楽団のパーカッションをやっておられるかおりさんと感動の再開を果たしたわけです(笑)
私の先生はかおり先生だったのです。
このときに私は音楽とであったわけです。
しかしながらピアノは上達することなく先生が変わるたんびに迷惑を掛け・・・。

私はいろんなことに興味があって小さいころからピアノ、英会話、日本舞踊とやっていたのです。
そして中学生になる時に部活がやりたい!!という理由で日本舞踊をやめました。(後3年やってたら名前いただけたのに・・・。)


そんなこんなで私が吹奏楽に出会ったのは中学の頃。
私はバドミントン部に入りたかったけどドクターストップで入れず。
じゃあ吹奏楽にするか♪みたいなノリで入ることに。
私はテナーサックスがやりたかったけどオーディションで落ちて第2希望のパーカスになりました。
いろいろあったけど、とってもいい経験でした。楽しい三年間を過ごしました。

そして高校へ。
中学では60〜70人いる大編成だったのが高校に来ると先輩はたったの5人。
もちろん愕然です。パーカッションの楽器も中学の時よりなかったのですから。
そこで私はどうせ未経験者ばかりやしホルンがしたい!と思ったのです(笑)
しかし結局ホルンは経験者の子がいたので誰も希望してないトロンボーンに。
こんな第二希望の人生を送ってきています。

しかし!

この運命でよかったと思っています。
パーカッションをやってリズム感をつけ、ティンパニをして音感を身につけたおかげでトロンボーンというあんな適当な(笑)音程合わせの楽器についても
あんまり苦労することなく・・・。
そしてなにより、こんな弱小の部活だったので部長も経験し、頑張って部活のレベルを上げ(ちなみに副部長は前回の団員の声えりちゃんです。)
指揮も振りスコアが読めるようになり・・・。まさに音楽漬けな人生です。

そんな私は今大阪音大でトロンボーンを専攻しています。
音大って音楽だけでいいし楽でいいよなぁ〜。なぁんて考えてる方!!私もそう思って入ったんだけどそれは大きな間違いです。
ちゃんと文学や日本語表現や日本国憲法や西洋史など勉強してるんですよ。
そしてなにより上下関係がかんなり厳しくってそれで何回嫌になったことか・・・。
だからこそ今は楽団を休団していますが、久しぶりに行っても快く迎えてくださるせせらぎは心地よくそこにいるみなさんが大好きです。
大学とも部活とも違う雰囲気の中で好きな音楽を出来るこの環境は本当に素敵だと思います。
今は母校の高校へ指導に行ったり大学の練習に参加したりしていて楽団に参加することが出来ませんがまた戻ったら迎えてください(笑)

このせせらぎにえりちゃんと入ってもう二年になります。
そのころ団長をされていてとっても頼りになった私にとってお姉さんのような存在のトロンボーンパート「いいむらゆうこ」さんに渡したいと思います。
よろしくお願いしますww



No_43(2006/11/01公開)
「無題」
いいむら ゆうこ(Trombone)

今回団員の声を書くことになりました、トロンボーンパートの「いいむらゆうこ」です。

「飯村さんって楽器やってんの?」
「はい〜。楽団に入って続けてるんです〜。」
「へ〜、いいねぇ。私も高校でクラ吹いてたんやで。」
「最近吹いてはらへんのですか?」
「卒業してからはぜんぜんやわ〜」
と、たまに職場でこんな会話が繰り広げられることがあります。その度に、吹奏楽経験者の多さを実感しています。吹奏楽を止めた理由は、卒業、就職、引越しと人それぞれ。生活環境が変わるとき、やっぱり趣味どころではなくなってしまうようです。

私の場合、高校生の頃からせせらぎに入団していて、地元進学、地元就職ということもあり、吹奏楽から離れることなくここまできました。こんな私でも就職した最初の1、2年は、仕事や職場に慣れるのに必死だったのですが、そんなストレスフルな毎日の中で、せせらぎは楽器が吹けて、気を使わなくてもいい(?)みんながいる、ほっこりした特別な場所だったと思います。もちろん今でも、仕事や家事を考えず楽しい時間を過ごせるせせらぎは、私にとって大切な場所であり、時間であり、人であります。

私の経験の一方で、たくさんの人が新しい生活を始めるとき、楽器をやめざるをえないことも当たり前なのかぁと思ったりもします。不安や期待がいっぱいで、覚えることもいっぱいの毎日では、そんな余裕は無いのかも…。でも、そこでやめてしまうのはもったいない!と、どうしても思ってしまうのです。一度楽器を休んだとしても、少し環境に慣れたら、また楽器を持ってみてほしいなぁと思います。ブランクなんて気にする必要はありません。一生懸命練習してきた過去があるから、すぐに楽しく楽器を演奏できるようになります。

『楽器を演奏することが好き』それが唯一の共通点となって、いろんな職業のいろんな年代の人達がせせらぎには集まっています。学校や職場、ご近所だけでは話すことも無かったような団員さん達との出会いもまた、せせらぎの魅力の1つだと思っています。

楽器を休んでいる人や、これから進学や就職で環境の変わる人がこの拙い団員の声を読んで、また楽器を手に取ることや、これからも続けていくことを選択してもらえたら、とても嬉しく思います。その時には是非、せせらぎをのぞいてみて下さい。たくさんの団員さんの『楽しい』を感じてもらうことができると思います。

そうそう、今学生のせせらぎ団員さん達、卒業してもせせらぎ続けてくださいねぇ。もし京都を離れることになっても、楽器を続けてほしいです。毎日がきっとちょっと豊かになります。(このちょっとが大きいんです。)

それでは次の団員の声を、トランペットパートの新鋭☆「あまのゆか」ちゃんにお願いします。

No_44(2007/01/24公開)
「無題」
あまの ゆか(Trumpet)

トロンボーンいいむらさんからご紹介頂きましたトランペットの「あまのゆか」です。『新鋭』と言って頂けるほど働けてない私ですが、そんな私をあたたかく受け入れて下さるせせらぎのみなさまに感謝感謝デス。。。

 団員の声が回ってきたのはいいのですが、何について書いたらよいのかわからないので、思いつくところを…
 私がせせらぎに入団したのは2年程前のことです。小・中・高とコルネットを吹き続けてきたのですが、短大、大学に入ってからはクラブに恵まれず、社会人になってからも“コルネットしか持ってないし…”“トランペットを買うつもりもないし…”ということで、一般バンドにも入らず、年一回高校の定演のOBバンド枠で吹いていた程度でした。ずっとどこかで吹きたいなぁとは思っていたのですが、腰の重い私はなかなか行動に移すこともせずにいました。そんなある日、急に思い立ってインターネットで楽団を検索。せせらぎを見つけました。団員募集パート欄の“トランペット”の横に“コルネット”の表記があったというだけで、ここだ!と思い、見学に行く前から入団することを決めました。そして、団員さんには多少驚かれながらも、見学初日に入団届を出して帰ってきました。
 それまでせせらぎの演奏を聴いたこともなく、存在さえ知らなかったのですが、入ってみていいバンドだなぁと思いました。演奏はさることながら、新入の私を気にかけ、話しかけて下さった団員のみなさんの心遣いがとても印象的でした。せせらぎメンバーについて思うことをもう一つ挙げると、みなさんいい人たちですが、加えて個性的な人が多いと思います。Tp.だけを見ても「トランペットってこんなにいろんな音色があったのだな」と思うほど、個性派揃いで新たな発見でした。でも、そんなそれぞれが奏でる音がぶつかり合うのではなく混じり合っているところが、せせらぎサウンドの味のあるところの一つだと思います。
 思い立ったが吉日!!と直感を信じ、即決せせらぎ入団した私ですが、この決断に間違いはなかったと思っています。大好きな楽器を気持よく吹かせてもらえる場を見つけることができたし、とてもいい団員さんたちに出会えました。とても幸せなことです。そして、もう一つ良かったことがあります。実はトランペットは嫌いだったのですが、好きになりました。大好きだったのはコルネットだけだったのです。今では楽器を譲って頂けたこともあり、トランペットにハマっています。楽器を譲って頂けたこともとてもラッキーな出来事でした。ありがとうございました。これからもせせらぎサウンドに貢献できるよう精進してがんばっていこうと思います。
 存在も知らなかった“せせらぎ”は今、私にとってとても大きな存在です!!

 では、次はせせらぎで偶然再会を果たしたクラリネットの「はたともこ」ちゃんにお願いします♪

No_45(2007/09/10公開)
「無題」
はた ともこ(Clarinet)

 団員のみなさん、このホームページを開いて下さったみなさん、ページの更新を途絶えさせてしまっていて、申し訳ありません。あまのゆかちゃんからバトンをもらいました、クラリネットパートの畑 智子です。
 ゆかちゃんとは、大学時代、サークル(音楽とはカンケイのないサークルです)で楽しいときをすごし、色々なことを考え、そして遊んだり、飲んだりした、仲間です。ゆかちゃんがせせらぎの団員とは全く知らず、HPを見て出会ったせせらぎに出かけてみて、偶然再会を果たしました。この縁をうれしく思い、せせらぎのなんだかあったかい雰囲気にひかれて、仲間入りさせてもらいました。
 せせらぎでは、素敵な出会いが他にも色々ありました。クラリネットからは、高校卒業以来、7年間ほど遠ざかっていました。初めは息も続かず、もちろん指もまわらず・・・でした。おまけに、仕事が忙しくて、満足に練習に通えていなくて、足をひっぱってしまうのですが、みなさんに暖かく見守っていただき、やさしく教えていただいたりもして、感謝しています。(クラパートのみなさん、特にありがとう!)
 仕事は、保育園で、保育士をしています。今年は、クラスの子どもひとりひとりの誕生日の日に、クラリネットで、“♪HAPPY BIRTHDAY”のプレゼントをしています。たまに子どもたちの好きな唄を演奏して、みんなで歌ったりもして、子どもたちが喜んでくれると、とてもうれしい!と思います。上手じゃない演奏だけど、でも吹いてる私が楽しくて、楽しい気持ちが聞いている子たちにも伝わる。楽しいのって伝染する、そんな音楽をしていきたいです。それと、せせらぎのみんなについていけるようにがんばらなくちゃ!!みなさん、よろしくおねがいします。
 次はせせらぎでの素敵な出会い、クラリネットの佐藤多恵子さんに渡したいと思います。



No_46(2008/02/10公開)
「無題」
さとう たえこ(Clarinet)

 はたともこちゃんからバトンされました・・佐藤 多恵子と申します☆

文章書いたりするのはとっても苦手なので何をかけばいいのかとっても悩んでしまいます(^^;)
高校時代以来、楽器にはぜんぜんさわってもいなくてどうしようかと迷いながら見学にいった日からもう3年も経っていることにびっくりです。
10年は軽く楽器をさわってなくて、ぜんぜんうまく吹けないわたしをやさしく受け入れてくださった団員のみなさまには感謝、感謝です。

普段はどうしても仕事などに追われて日々過ぎてしまいますが、せせらぎで楽器を吹いてるときは演奏に一生懸命になれていい時間が過ごせて、リフレッシュにもなってます♪
とはいえ・・ここのところなかなか練習にいくことができず迷惑かけてしまい申し訳ないなぁと思っています。

なかなか、好きなことをする時間をとるって難しいですがもう少し好きなことをする時間が持てるようになりたいと思ってますのでみなさまよろしくお願いします☆

No_47(2008/08/10公開)
「せせらぎ人生」
さかた けいこ(Clarinet)


 当初、月に1回のペースで進んでいた「団員の声」。
更新が随分遅れて申し訳ございません…。団員の声を待ち遠しく感じられた方々、大変お待たせ致しました!役員の方々からご指名を受けましたので、新たにスタートした団員の声のトップバッターは、わたくしクラリネットパートの「さかたけいこ」」が勤めさせていただきます。どうぞ最後までお付き合いください。


 わたしがせせらぎに入団したのは4年前。まだ20歳にもなっていない、大学1回生でした。せせらぎ人になってからの4年間は私にとっては人生のなかでも一番濃い期間で、音楽人として、人として成長できた期間だと思っています。「なんやそれは〜、おおげさやなぁ〜!」と、どこからか笑いの入ったつっこみが入ってきそうですが、本当に心からそう思うのです。

 わたしは中学、高校と6年間クラリネットを続けていました。しかしこの6年間、私は吹奏楽の楽しさを何ひとつ感じてなく、音楽に対する想いもありませんでした。さらに言えば、クラリネットという楽器を好きになれず、毎年夏に出場していたコンクールも大嫌いでした。ただ、部活で一緒に過ごす仲間が大好きというだけで吹奏楽部に所属していました。吹奏楽の名曲中の名曲も知らず、有名なクラリネット奏者も知らない。プロのクラリネットの音色を一度も聞いたことが無く、演奏会を聴きに行く気も興味も無い。ただ吹ければいい、楽しければそれでいい。若干自己満足にも似た感覚で、吹奏楽を6年続けていました。
今思えば、よくもまぁそんな状態でクラリネットを吹き続けることができたものだ謎に思いますが、6年間続けてきたという事実は外から見れば「本当に吹奏楽が好きなんだな」という印象を与えていたと思います。しかし、全く吹奏楽の魅力を感じることができないまま吹奏楽部を引退した私には、大学で吹奏楽を続けたいという強い思いはあまりなく、「せっかく大学に入ったんやし、なんとかエンジョイせんと…」という大学デビューを夢に見たような思いだけで学内サークルを探しまくりました。でもこれといって興味のそそるものもなく、ただただ時間だけが過ぎていき、サークル団員募集はいつのまにか終わって、時期を逃した私は一人取り残されてしまいました。家と学校を往復するだけの毎日で、何か楽しいことがないかとぼんやりとする日が半年間続いたのですが…
そんなとき、中学の同級生から急に連絡が入り、一般の吹奏楽団でもう一度一緒に楽器をやらないかと誘われました。「まぁ、サークル的なものに入るとするなら経験のある吹奏楽の方が雰囲気に入りやすそうやし…」と、友人の勧められるまま流れるままに身を任せていると、気が付いたらクラリネットを片手にニューセンチュリースタジオの前に立っていました。

 せせらぎの団員さんにも話したことのないお話をしましたが、わたしはせせらぎに入る前はこんなにやる気のなかった、吹奏楽にあまり関心のない子でした。しかし、今はどっぷりとせせらぎにはまり、せせらぎでクラリネットを吹かないと人間らしい生活が出来ないという、せせらぎ依存症にまでなっています。今年4月に就職し、学生のときのような自由さがなくなってきてから、この症状は重くなっているようにも思われますが、やっぱり職場の休憩所でも、久し振りに会う同級生の前でも、家族との団欒の場でも、どこにいっても私が語る話題のほとんどがせせらぎのことばかり。   
クラリネットは、まだ「大好き!」と胸を張って言えないのが正直なところですが、クラリネットのアンサンブル曲や協奏曲を親切なおじさまたちに教えて頂いたおかげで、クラリネットを吹く楽しさや音色など、クラリネットの魅力を感じれるようになったのも、せせらぎに入団したからこそだと思っています。吹奏楽をやっていて楽しいと思ったことがなかった学生時代を過ごしていましたが、今は本当に練習日である毎週金曜日が待ち遠しく、練習場所の扉を開けて新しい曲や人に出会うたびにウキウキし、周りの厳しい視線(特に前方と右端から…笑)にハラハラしながらも、団員のみなさんと一緒にいろいろな曲を演奏できることにドキドキしながら、せせらぎ人生を歩んでいます。今後、いろいろなことがあったとしても、この道を歩き続けていけたらなぁと強く思います。

 これまで「団員の声」で多くのせせらぎ団員が語られているように、せせらぎは高校生から40代のおじさままで世代が違う団員が揃う「アットホームな楽団」です。さまざまな立場の中で過ごす団員を受け入れるという、せせらぎが持つ独特のやさしい雰囲気や寛大さ、音楽に対して熱い想いを語る団員さん、真剣にせせらぎを考え裏で支える役員の方々、琵琶湖バーベキューや雪山合宿など遊び心満載のレクレーション、そして忘れてはいけない練習後の飲み会。これら1つでも失われると吹奏楽団せせらぎではないと言っても過言ではありません。わたしはこのようなせせらぎに出会えて、団員の方々と一緒に演奏できてすごく嬉しく、幸せに思います。せせらぎに連れてきてくれた友人に感謝です。

 長々と私的なことを話してしまいましたが、せせらぎがどのような楽団が少しは感じていただけたでしょうか??もっと知りないな〜とか、楽しそうだな〜と感じた方は、いつでもニューセンチュリースタジオへお越しくださいませ。お待ちしております♪

 さて、新しく始まった「団員の声」ですが、前回同様、次回「団員の声」を書いてもらう団員を1人紹介してバトンを毎月回し、できればエンドレスに繋げていこうと思います。
それでは、発表致します。次回の「団員の声」担当者は…
 その人は、ときどきめがねをかけています。長身で極細。素敵に着こなす服は自作だったりします。お酒の飲みっぷり、豊富な話題、時にビクッ!とくるくらい怖い突っ込み、海に行けば海女さんのように潜り、サザエを取ってきてくれるという魅力たっぷりの女性です。わたしの憧れの女性のひとりでもある、魅力たっぷりのパーカッション「のむらかなこ」さんにバトンをお渡しします。では、かなこ姐さんよろしくお願いします!

No_48(2008/09/07公開)
「無題」
のむら かなこ(Percussion)

さかたけいこ」さんからご紹介頂いたパーカッションの「のむらかなこ」です。
せせらぎ以外の趣味は釣りと素潜りと編み物です(サザエと自作の服はここから・・・)

せせらぎに入ったのは同じ会社のとだくんのお誘いでした。
自分でもなんだか長く居るような気がするんですが、そういえばまだせせらぎに入って2年も経っていませんです。
実はせせらぎに入る2年位前に、他の一般バンドを見学に行ったことがありました。
いきなり合奏に参加させていただいたのですが、マレットやスティックの持ち方はおろか楽譜すら読めない状態!大ショックでした・・・

吹奏楽を始めたのは中学1年のとき。パーカッション希望だったのですが希望者が多く、トランペットに回されてしまいました。で、高校の3年間もそのままトランペットに。
大学の吹奏楽団に入ったんですが、今度はトランペットの希望者が多く、それならば・・・と、一度やってみたかったパーカッションを希望。
他にも大学スタートの子がいたので、先輩たちに基礎から色々教えてもらえましたが…やっぱり初心者は初心者。オリ番も多いですし、合奏に出させてもらえても今度は演奏ができなくて悔しい思いをすることが何度もありました。
365日24時間音出しOKというとても恵まれた環境の中、ひたすら練習できたのはありがたかったですね〜。朝の4時に練習に言ってそのまま学校!とか。バイト終えてそのまま練習場!とか。思えばとんでもない生活でした。。若さ。。。

生活環境の変化や引越しなどで、学校とともに吹奏楽からもすっかり離れてしまっていたのですが、仕事も落ち着き、そろそろ復活しようかな〜、とネットで検索して見学に行った一般バンドで想像をはるかに超えた自分のできなさにショックを受け。
「もう吹奏楽は出来ないな〜」と正直あきらめていたんですが。

ブランクは怖い。私の場合経験2年の10年ブランクですからね。ほとんど初心者です。
とだ君のお誘いにも最初はそうやって断っていた(と思う)んですが、「合奏は基礎練習から始める」となだめすかされて(だったっけ?)見学に行ってみることに。

一般バンドの練習ってチューニング→いきなり曲の合奏、ってイメージだったんですが、せせらぎはロングトーンの音階基礎練習、リズム練習を経ての合奏。
バスドラのビーター(って名前すら忘れてたんですが)を渡されたときは前回のショックを思い出してちょっとビビりましたが、4分音符をゆっくり叩いているうちに少しずつ楽しくなってきて。
曲の合奏にも参加させてもらって、ホントあっという間に練習が終りました。
もちろん楽譜を見失ったり間違ったりが一杯だったんですが、まず基礎練習で合奏の雰囲気や楽器の感じを思い出すことができて安心。
あと、せせらぎそのものの包容力っていうんでしょうか?新しい団体にポトンと入ったっていう恐怖心というか、そういうのが全然なくて。みなさんがいう「アットホーム」っていうのが、合奏の中ですごく感じることが出来ました。

吹奏楽の世界に再び入って1年半。毎週金曜日が待ち遠しいくらいです。
楽器の方はまだまだ上手になれなくて。もし今練習場が24時間OPENだったら通い詰めたいくらいですが・・・まぁ学生時代とは違って家庭も仕事もある身分ですし、今の自分に合った「一生懸命」で、これからも長く続けて行きたいな〜と思っています。そうそうこれが大事。とか自分で言ったりして。


ミナサマこれからもどうぞよろしくお願いします。

それから、「どっかでもいちど吹奏楽やりたいな〜」と思って、ここにたどり着いてくれた皆さん。ありがとうございます。特に、「ブランクがあるし・・・あと一歩踏み出せないの」って方の勇気付けになれば幸いです。一度見学に来てみてください!ぜひ!

ではでは、お次はくりっくりの瞳が印象的なオーボエの「はましたひとみ」さん、お願いします〜
本当に名前ピッタリだわ、といつも思ってましたよ。言った事なかったけどここで言っちゃお。
また電車乗りに行こうね〜旅行も行こうね〜


No_49(2008/10/13公開)
「無題」
はましたひとみOboe

せせらぎの「海女」こと天然高知産の「のむらかなこ」さんからご紹介頂きました、
富山産・オーボエ吹きの「はましたひとみ」です。

振り返れば長い音楽人生。
幼稚園・小学生時代はピアノを習い、中学では吹奏楽部に入ってフルートを吹いていました。
縁あって高校でオーボエに出会い、2年間吹いていましたが、実はその後約5年のブランクに入ります。

それまで吹奏楽一色の学生生活を送ってきたこともあり、
茨城の田舎で過ごした大学時代には、何か違うことをしたいと思い、
敢えて音楽系サークルに入らない道を選びました。
当時は楽器も持っておらず、もう2度とオーボエを吹くこともないだろうと思っていました。

それでも、いつしか母親から譲ってもらったフルートをひとり田んぼのど真ん中で吹いたり、
近所の公園で子ども相手に実家から持ってきたリコーダーや鍵盤ハーモニカでリサイタル?をやったり
(この頃の経験が現在のアンサンブル寒鰤での活動につながっています)、
小学生の頃に弾いたピアノ曲を、大学に置いてあったピアノで一生懸命さらったりするようになって、
さすがの私もある日はたと気づきました。「私はこんなに、音楽が好きだったのか!」

せせらぎに入団させてもらって3年半、まさに下手の横好きを座右の銘にオーボエを吹いてきました。
十分な練習時間を取れなかったり、大スランプに陥って団員の皆さんをひやひやさせてしまったりと
せせらぎの皆さんには迷惑ばかりかけているように思いますが、
すべてを忘れて楽器に向き合うことのできるこの時間は、私にとって宝物です。
うまく吹けなくてぼとぼとぐちをこぼす私をさらっと励ましてくださるお兄様方や、
毎週の練習後の飲み会での他愛のない笑い話なんかに支えられて、
今、こうしてせせらぎでオーボエを続けています。

いろんな巡り合わせや偶然から、たまたませせらぎに入団することになった私ですが、
愉快で素敵な仲間たちと、「もう一度」出会えたこの趣味を、
細くとも長く、大事にしていきたいなと思う今日この頃です。


さて次回は、せせらぎ富山閥仲間である、同じ高校出身の「こんどうたいき」くんにお願いします。
こんどうくんとは、上述の「アンサンブル寒鰤」でも一緒にリコーダーを吹いています。

(そうそう、団内でのアンサンブルが盛んなのもせせらぎの良さの一つ。
 毎年冬に行われる団内アンサンブル発表会では、金管・木管・打楽器問わず
 たくさんのアンサンブルが結成され、練習の成果を披露しています。
 アンサンブル寒鰤では、メンバーの本職楽器を離れてリコーダーやウクレレなどを使い
 あっと驚く楽しい演奏を繰り広げます。出張演奏受付中!)

作曲・編曲もお手の物、若きクリエーターが繰り出すせせらぎトークにご期待ください!

No_50(2008/11/10公開)
「せせらぎによって救い上げられた、僕の沈みかけの人生(大袈裟)」
こんどう たいき


Oboeの「はましたひとみ」さんからご紹介を受けました、「こんどう」です。
「はましたひとみ」さんのことは、ひとみさんと呼んでいます。
瞳さんは二歳年上で同じ高校なので、僕は高校一年の時に少しだけお話しました。
綺麗な人でしたが、それきりでした。京都でまたお遭いするとは思ってもみませんでした。
日本狭いです。
僕の人間関係が狭いのか。

団員の声ということで、団の雰囲気を紹介したり、団員としての僕をアピールしたりするのでしょうが、
僕は少し暗い人間なのであまりこういうのには向いていないかもしれませんが、すみません。
京都に来て六年になります。
始めて京都を訪れたのは中学校の修学旅行(片想い真っ盛りでした)、二回目は大学受験のときです。
その時は烏丸御池にあるハートンホテルさんにお世話になりました。
生意気な受験生如きに懐石風朝御飯を振舞っていただいて、田舎者の僕は大変嬉しかったです。
朝食後は試験会場を下見に行き、その足で大垣書店へ行って(なんて大きい本屋かと・・・)、
ビートたけしの文庫本等七、八冊を買い込んでホテルで読みふけったことを思い出します。
少しエッチな本も。

大学入学後は大学の交響楽団とかけもちですぐにせせらぎに入団(確か4月4日?)、
今となってはせせらぎ団長となってしまった高校の先輩に連れられて、
右も左も分からない富山県民は不安な楽団デビューを果たしました。
しかし日々の生活は言葉通り不安で、大学へ行っても楽しくなく、
(誰と話しても楽しくないと思っていたら、クラスですっかり浮いていました。
同じ様に浮いている人を探して話しかけたりしていたので、楽しいはずがありません。)
交響楽団では、実力主義と聞いていたにも関らずTuba吹きがFagottなどに挑戦したものだから、
敢え無く挫折、そのまま退団を迎えます。五月中旬のことです。
その後は太宰治の人間失格やカフカの変身、安部公房の砂の女など、あまり明るく無い小説を
読みふけりつつ、大学へも出席せずに一人ボーリング(上賀茂のMKボウルへ自転車で)などをしながら日々を過ごしました。
平日のボーリング場にいるのはまるでプロのようなおじさん達ばかりでした。(どういう身分の人達でしょうか)
今となってはいい思い出です。

そんなすぐにでも郷里へ帰ってしまいそうな僕が京都に居ついてしまったのは、偏にせせらぎの団員の皆さんのお蔭です。
自炊生活もままならず、朝抜き・昼カレー(ココイチ)・夜ピザ(ピザーラお届け)・夜食ラーメン(天天有)という生活を
送っていた僕に、温かい家庭の味を振舞ってくれたのはせせらぎの団員さんでした。
大変お世話になりました。あの頃の僕にとっては唯一心の和むひと時でした。
また吹奏楽曲のみならずクラシック曲も色々と教えて頂き、CDを貸していただいたり、
ある時はコンサートのチケットを譲っていただいたりしたのもせせらぎの団員さんでした。
楽器を運搬してくださったのもせせらぎの団員さんで、飲み会に誘ってくれたのもせせらぎの団員さんです。
飲んで飲んで、大学の試験の前日に飲みすぎて気持ちが悪くて起きられず、
結果試験を放棄して郷里へ帰省することになった時も、共に杯を酌み交わしたのはせせらぎの団員さんでした。
振り返ってみると、とてもお世話になっています。
みなさん、ありがとうございます。
あ、でもそういえば「君はすぐに辞めると思ってたわ」とおっしゃった団員さんもおられます。
それほど暗かったのです。

生意気だ生意気だと非難され、酔った年上の方たちからは軒並み教育的指導を受けて来た僕も
早いものでせせらぎ在籍六年ということになります。六年の間ですっかりカドがとれて、まるで角を矯められた牛です。
色々な事があった六年間でしたが、今ではせせらぎのお蔭で彼女もできて、ハッピーハッピーです。
彼女ができた経緯については、お聞きになりたい方はメールをお送りください。電話不可(恥ずかしいので)
現在、どんどん若い人達が見学・入団していらっしゃいますが、
かつての僕のように引きこもり寸前の様な生活をし、平日の昼間は一人でボウリングをしているような人も
いるかもしれないので、そういう人には是非僕が常識的大人の模範として声掛けをし、
少しでも早く健常で光に満ちた生活を送ることが出来るよう、指導したいと思っています。
うそです。

なんだか、楽団の紹介ですのに音楽的なお話がほとんど無い。
僕は何だかんだ言ってもとても音楽的な人間です。
頭の中に音楽が流れていない日はありません、人の話も聞こえません。
せせらぎにいらっしゃる皆さん、ご入団の折には是非とも音楽的でクリエイティブなお話を共にいたしましょう。

こんな暗い文章の後でとても申し訳ないですが、お次は「おきささきのぞみ」さんに団員の声を引き継ぎたいと思います。
「おきささきのぞみ」さんです。名前はゆっくり言ってあげましょう。
名字が「おきささき」さんということで、大変珍しいお名前。
京都の北の方からやって来られた、ヤングでキュートで素朴で貴重な人材です。
物静かな口調で稀に毒舌を繰り出す「おきささき」さんに、自身とせせらぎの事を明るく明るく語って頂きましょう!


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